ゆるおに 2018年08月
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兄ではない男
「26 兄ではない男」 
 


 西帝にとって、姉というのは、不気味な女であった。
 父のように粗暴ではないかわり、兄のように親しいわけでもない。幼い頃は、それが姉だということにも気付いていなかった。同じ家に住まう親戚の女だと、その程度に思っていたものだ。
 西帝を見れば微笑む。兄が忙しいときは、面倒を見てくれた。優しい言葉も掛けてもらったように思う。
 だが、馴染めない。かつても今も。
 兄――ほとんど父の代わりに育ててくれた彼が、彼女を苦手にしていることもあろう。
 ――姉貴はお前には優しいと思うが。
 ――近付きすぎるなよ。
 兄は父に似た、骨太の大男だが、姉には怯えていた。
 西帝には、父のほうがよほど恐ろしく見えたのだが、兄は父をやり過ごしていた。
 つまり、姉のことは、やり過ごせなかったのだろう。
 大人になって、西帝はそう解釈するようになった。そう外れてはいないはずだ。
 そして西帝が大人になるより早く、兄に子供が産まれた。姉はその甥を大層可愛がり、西帝には変わらず微笑んだ。
 ――何だその差は。
 なにしろ、まだ大人ではない年頃であったから、そんな感情も抱いた。
 今思えば、単純に、甥は可愛らしい子供であったのだ。姉ならずとも、甥にまなじりを下げる者は多かった。顔立ちが愛らしく無邪気な甥は、無口で内向的だった西帝よりも、可愛がりやすかったという話だろう。
 要するに、西帝は甘ったれていたのだ。自分は甥と同様にちやほやされるべきであると、なぜか思い込んでいたことになる。
 それはおそらく、感謝すべきことだ。当然のように愛情を受けて育った、という証左である。恐ろしい父。距離の遠い姉。消去法で考えずとも、誰が愛してくれたのかは明白である。
 ――愛。
 この文脈で思い浮かべると、気色の悪い言葉である。
 ――兄と姉が逆ならば、美談に寄っただろうに。
 髭面の大男に愛される子供時代よりも、美しい姉に世話を焼かれる子供時代のほうが良い。
 西帝がそう言うと、白威は少し嫌そうな顔をした。
「それは贅沢だろう、君」
「一般論じゃない?」
「俺の兄は早くに亡くなったし、父もあれだから――愛して育ててくれる者が居ただけでも、感謝すべきだと思うが」
 それもまた一般論である。当然、言い分は理解できるし、承知もしている。兄には感謝していた。兄を蔑ろにするほど、西帝は青くも若くもない。
 そう言うと、白威はまた嫌そうな顔をした。
「つまり、俺が青くて若いということか」
「それは穿った見方だ白威さん。あなたのコンプレックスの不適当な照射だ」
「大人しい子だったのに、口が達者になったな」
 白威は兄の弟弟子である。西帝が生まれる前から、それはそうだった。
 謂れがあるのやら無いのやら、幼い西帝の面倒をよく見てくれた。兄ほどではないが、姉よりは親切だったはずだ。
 義兄さんなどと思ったことはないが、親戚の兄ちゃんと考えれば、違和感もない。実際、遠くとも血縁ではある。
 父や兄より、白威に面差しが似ている、と言われることもあった。それは体格と眼鏡のせいだろうと思う。兄に比べれば白威は線が細く、西帝はその白威よりもさらに小柄だ。
「姉さんと白威さん、どっちのほうが身長高いの」
「皇ギ様だと思うよ。いつも高い靴を履いておられるから、脱いだらわからないけど」
「脱いだらとか言うなよなあ」
「靴の話だ、靴の」
 古い日本建築のこの屋敷で、姉は靴を履いている。当然、室内履きであり、畳には脱いで上がるようだが――
 その足を、西帝はどうも直視することができない。
 姉は美しいが、何かが過剰だ。
 それは長い睫毛や、白いうなじや、袖から見える手首に、より濃く纏わりついている。幽霊――というものを西帝が恐れたことはないが、姉の雰囲気はそうしたものに印象が近い。
 白威は笑った。この男は、兄の前ではこんな表情を見せることはない。
「君たちは揃って皇ギ様に頭が上がらないらしいな」
「まあ、兄貴もそうだね」
「桐生君もだ。豪礼様に比べれば、皇ギ様は、怖いというわけでもないと思うが」
「女は魔物だし、母親は神ですからね。幽霊で神域ですよ」
「母親は神?」
「親父が良いって言ってた映画に、そんなフレーズが出てきたんですよ。母親なんて居ないからわかりませんが。姉は母親のニアリーイコールではあるでしょう」
「そういう理屈がなければ、姉を愛することもできないのか」
「愛とか言うほど親しくないし」
「親しさは関係ないだろう。想いというものは勝手に募るものだ」
「そんな恋心みたいな」
「違うのか?」
 兄は白威を苦手にしている。そう考えると、存外、あの飄々とした兄には苦手なものが多い気もする。父のことも、姉のことも、あとは小動物や何かも苦手だと言っていた。
 西帝のことは苦手ではないようだ。
 それはおそらく、共犯者の気安さだろうと、西帝は思っている。
「――姉は姉ですよ。特別な感情は、別に」
「母は神で、姉は母のニアリーイコールなんだろう。信仰心というのは特別な感情だと思うが」
 いつになくしつこい。
 兄と喧嘩でもして、西帝にその憂さを晴らしているのなら、迷惑な話である。
 遠回しにそう伝えると、白威は眼鏡の奥の目を見開いた。
「とんでもない。そんなことで憂さが晴れるなら、もっと君のところに通ってくるよ」
「はあ。じゃあ、何をしに」
「だから」
 白威は携えてきた紙袋をぱんと叩いた。
「父から君に土産物だ」
「そんなこと言ってたっけ。中身は何?」
「さあ。袋からして、果物菓子だと思うけど」
 言われて見てみれば、紙袋は老舗の果物店のものである。
「あらまあ、お高かったでしょうに」
「知らないよ。君が買ったことにして、弥風様に出せば、株が上がるんじゃないか」
「そうさせていただこうかな」
 弥風は甘い菓子や果物が好きだ。西帝はそれほど執着がない。
 紙袋の中には、同じ柄の包装紙にくるまれた小箱が入っていた。包装紙を剥がす。
 瓶入りのゼリーが六つ入っていた。過剰梱包であることを除けば、師が気に入りそうである。
「高そうだ。白威さん何個か持って行く? 神無様も菓子なら好きだろ」
「いや。そこのゼリーは神無様には少し酸っぱいらしい」
「砂糖で煮た果物だろ。酸っぱいってことある?」
「茶菓子はチョコレートと決めていらっしゃるから、それより甘くない菓子は気に入らないんだろう」
「おたくも大変ねえ」
「おたくほどじゃない」
「神無様の何がそんなにいいわけ?」
「君が皇ギ様から逃げられないのと同じような理由だろう。たぶん」
「神の似せ物なんだ」
「そうじゃない。まあ、そう言い換えてもいいのかも知れないけど」
 白威は言葉数の多いほうではない。もう少しは何か言い添えるかと思ったが、彼の中では話が終わったらしい。帰り支度を始めている。
「ちょっとちょっと。言うだけ言って帰るのはどうなの」
「何か話があるか?」
「デリケートなところに触れておいて、そのままってのは薄情だ」
「君に対して厚情でなければいけない義理もないと思う」
「情オブ薄」
「うるさいな。なんだ、謝れということか」
「別に謝ってくれなくてもいいけど。誤解しないでほしいと思って。俺は親父や姉さんと違って、健全なので」
「健全かどうかは問題にならないだろう。愛せるかどうか、許せるかどうかだ」
「あなたに愛されたいわけでも許されたいわけでもないけど、誤解されるのは気持ちが悪い」
「俺なんかにどう誤解されていたって良いだろう。誰しも、相手を正確に理解することなんかできないよ。誤解の積み重ねで、騙し騙し生きていくものだ」
「それはそうなんだろうけど」
 白威に口論で勝てたためしはない。口数が少ないわりに、一度話しはじめると、的確に急所を突いてくる。そして、いいように煙に巻かれる。
 西帝が眼鏡を外して服の袖で拭くと、白威も同じ仕草を見せた。
「ミラーリングやめてくれる?」
「男性誌ではオウム返しをモテテクとして紹介しているが、あれは普通に腹が立つよな」
「男からモテテクを見舞われたことがないから何とも言えないけど、真面目に喋ってるのにモテテクで返されたらムカつくとは思う」
「君にモテようと思って行動を真似たわけじゃない。たまたまレンズが汚れていたんだ」
「嘘を言えい。あなた袖でメガネ拭いたりしないだろ」
「よく見てるな」
 白威は眼鏡を装着し直して、少し笑った。
「君は意外と仕草が雑だね。メガネを袖で拭くし、ポテトチップスを食べた後の指は肩で拭ってる」
 意識したことはないが、白威がそう言うのならば、そうなのだろう。
「俺モテねえなー」
「君の血統はみんな、仕草が上品だと思ったが。君だけ現代っ子だな」
「兄貴、気持ち悪いくらい潔癖症でしょう。俺が便所から出て、洗面台で手洗って出ようとしたら、目の色変えてキレましたからね。水だけじゃ雑菌が流れないとか言って。この寒いのに、石鹸なんか使わないでしょう。女じゃあるまいし」
「石鹸というのも死語だな。洗面台には泡で出るハンドソープが置いてあるんだから、使った方がいいよ」
「ていうか、百歩譲ってそこまではいいとして、兄貴はそのあとに除菌ティッシュで手ぇ拭くじゃないですか。女でもこれは潔癖症ですよ」
「洗面所のタオルを信用していないんだろう。君のように、水洗いしかしていない男が、しっかりと手を拭いて行ったかも知れない」
「兄貴の味方?」
「清潔を勧告する者だ。君のお兄さんの味方だったことはないよ」
「そこまで気にするのに、よくこんな古い家で共同生活できるな。風呂とか嫌じゃないんですか」
「だから、風呂掃除は俺たちの受け持ちになってる」
 そういえばそうだった。兄は昔から、大浴場の掃除を担当している。
 生活費の控除などが行われるのかと思っていたが、趣味であるということか。西帝は師に仕えるかわり、インフラ一般にはいっさい関知していない。したくもなかった。
「そういえば、白威さんと風呂で会わないな」
「俺たちは神無様のご入浴を手伝っているから、幹部時間に入ることが多い」
「なるほど」
 夜十時から深夜一時の間、浴場には入場制限がかかる。重鎮位の者のための時間だ。西帝の師はそこでさっさと入ってくる。西帝が要求されるのは、風呂上がりの水差しくらいのものだ。
 師の入浴介助までしなければならないとは、手のかかることである。
「おっぱいない女の身体洗って面白い?」
「胸の大きい女性は苦手だから助かっている」
「幹部時間って、此紀様とかと一緒になるんじゃないの?」
「眼鏡が曇っているからよく見えない、という設定で行っている」
「ってことは、よく見えてるんだな」
「見えるけど、別にじろじろ見ないよ。色が白くて胸の大きい女性は、シルエットが蒸しまんじゅうっぽくて怖い」
 白威の性愛対象は男なのだそうだ。ふうん、と聞き流した情報である。
 考えてみれば白威は線が細く、雰囲気が淡く、女性らしいとも言えた。女姿で暮らしたい性質なのかも知れない。
 珍しいことでもないため、特に偏見は持っていない。師は怒りそうだ。男を好む男は、子を成す率が著しく低いためである。
 あまり関心のない話だったが、世間話として振った。
「白威さんはどういうタイプが好きなわけ?」
「どうだろうな。価値観は離れているほうがいいと思う」
 容姿の話を問うたつもりだったため、一瞬、戸惑いの間を置いてしまった。
「価値観が離れてるほうがいい? お互いに補い合うため、みたいなこと?」
「そんなことは期待しない。というか、期待しないために、遠いほうがいい」
「え、小難しい話が始まってる?」
「簡単なことだよ。俺は君のお兄さんが苦手だ。同じ師に、別の動機で仕えているから」
「ああ」
 わかりやすい。近親憎悪と、近似値ではない部分への確執の話だろう。
 そう考えた途端、自分に跳ね返ってくるものを感じて、胸やけがした。
「おえー」
「他者は鏡で、深淵はこちらを覗いていて、コンプレックスは照射され、君はまだ若い。あんまり踏み込まないことを勧めるよ」
「白威さんには心理戦を挑まないことにします」
「それがいいと思う。俺が君たちに勝てるところは、そこしかないからな」
 深淵に沈むコンプレックスの鏡の破片をわずかに落として、白威は腰を上げた。






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