ゆるおに 麒麟児と俺 その2

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麒麟児と俺 その2
「14 麒麟児と俺 その2 『ヒートテックを知らない国のアリス』」



 沙羅は美しいが、何を考えているのか、よくわからない女である。
 だからあまり親しくはない。東雲の好みは、単純明快な女だ。髪を明るく染め、他愛ないことをよく喋り、東雲の機嫌を取ろうとし、流行りの服を着て流行りの香水をつけ、2日おきに連絡をしてくるような、ありきたりな女を可愛らしいと感じる。
 沙羅は長い髪を高く結い、古風なリボンで括り、白いブラウスと黒いスカートを着用して、あげく抹香のような香を部屋で焚いている。文明開化の時代のような女だ。
 外をふらふらとしている時以外は、部屋に篭もって、本を読んだり茶を点てたりしているようだった。一族の掟でスマートフォンを持ってはいるが、あまり触っているところは見ず、東雲がコールしても出ないことが多い。デジタル機器が合わないのだろう。東雲よりも若いが、どうにも年寄りじみている。陶器だか漆器だかが好きらしいが、そのあたりの枯れた趣味も東雲とは合わない。
 沙羅の方でもそう思っているようで、ほとんど話しかけてくることもない。
 綺麗な妹弟子で羨ましい、と言われることもあるが、同じ師に仕えているというだけの、希薄な間柄である。
 それでも兄妹弟子としては、良好な関係と言えるだろう。互いに距離を置いているというだけであり、トラブルなどは起きない。師もそうしたことに関心のない性質だ。
 才気に恵まれた妹弟子は驕慢で、師の細かい世話にはあまり向かない。しかし東雲は、そうした仕事があまり苦ではないため、気にしてはいなかった。

 自分の部屋で、師のシャツにアイロンをかけているところに、珍しくその妹弟子が訪ねてきた。

「アイロンがけか。似合わないな」
 いきなり襖を開いて、そんなことを言う。
「克己様のお洋服ですよ。あなたがしないから、俺がするしかないでしょうが」
「気の利かない女で悪かったな」
「事実なんですから、拗ねないでくださいよ。俺がやってるんだから円満でしょう」
「やれと言われたら、私とてやる」
「アイロンなんか触ったこともないようなあなたに、やれなんて言いに行くより、俺がやっちまった方が早いんですよ。何か御用ですか」
 沙羅は顎を引いて、じっと東雲を見た。
「なんですか。熱視線ですか」
「味噌汁は好きか」
「え? 普通です」
「女が何かを好きかと問うたら、好きだと答えろ」
「はあ。じゃあ好きです」
「それは良かった。味噌汁を作ったんだが」
「あなたがですか?」
「いちいち話がスムーズに行かない男だな。そうだと言っているだろう」
「らんこちゃんとかが同じことを言いに来たら、もう味噌汁飲んでますよ。キャラに合わないこと言われると、こっちもビックリするんです。あなたも料理とかするんですか」
 アイロンのスイッチを切って、改めて沙羅を見上げる。
 浮世離れした美貌。ややレトロな洋装。優雅な仕草。それだけなら一族に珍しいものでもないが、この女にはしっとりとした気品がある。旧華族のご令嬢という風情だ。
「包丁も握ったことがなさそうですが」
「初めて握った」
「なんで味噌汁なんですか?」
「白威に鰹節を分けてもらったから、出汁を引いて作ってみたくなった。私の腕はともかく、出汁が良い。旨いと思う」
「ご相伴に預かっていいんですか? 嬉しいなあ」
 沙羅が眉を歪める。
「ずいぶん慣れた対応だな。どうせよく女に作らせているのだろう」
「なんすか面倒くせえ。俺の女でもあるまいし、なんで妬いてるんですか」
「誰が妬くか。どうせ舌が肥えているのだろう、と言いたかっただけだ」
「そんな家庭的な女とはそうそう付き合いませんよ。いいなあ、女の作った味噌汁なんか久しぶりだな」
「ん」
 少し笑って、沙羅が手招きしてくる。アイロンのコンセントを抜いて、腰を上げた。
 すたすたと先行する沙羅について、廊下を歩く。
「克己様のお部屋にも行ったんですか?」
「私なぞが作ったものをお師さまの口に入れられるか」
「あなたの作ったものなら何でも喜ばれると思いますがね」
 後ろ足で軽くローキックを入れてきた。
「あ痛て。なんで?」
「軟派な男は好かん」
「今のがアウトなの厳しくないですか?」
 沙羅が少し早足になる。照れ隠しだろう。
 可愛らしいと言えないこともない。
「ちょっと太りました?」
 ハイキックが来た。上半身をひねって避ける。
「褒めたんですよ」
「どこがだ!」
 ノーモーションで軸足を切り替えて、ミドルキックを見舞ってきた。避けきれず、腹にもらってしまう。
 思ったよりもだいぶ重く、ふらついてしまった。
「くそ、強い」
「筋肉だ。太っているわけではない」
「別にあなたがそう言い張るのは自由ですが、摂食はかえって太るらしいですよ。もうちょっと食った方がいいんじゃないですかね」
 この妹弟子は、人道主義者なのか、偽善者なのか、屠殺をなるべく避けているらしい。最低限の栄養素で生きているということだ。吸収率も上がろう。
 乱れたスカートの裾を直して、沙羅は嫌そうな顔をした。
「放っておけ。私は自分で選んで生きる」
「洋服はモノクロなのに、パンツは水色ですか」
「放っておけ!」
 平手が飛んできた。これは見切ることができたため、手首を掴んで止める。
「せっかくお貴族様っぽいんですから、あんまりはしたないことはなさらない方がよろしいですよ」
「どうして皆、同じようなことを言うんだ」
 不満そうに言って、東雲の手を振り払う。
 再び歩き出しながら、沙羅はぽつりと言った。
「本当に華族の血筋だそうだ。私は」
「は?」
「私の母親は、華族の家の娘だったらしい。父は都会が好きだったから、そちらで知り合った女なのだろう」
 信憑性がない、というわけでもない話だった。
 沙羅はおそらく、大正か、昭和の頭か、そのあたりの生まれだったはずだ。華族制度の存在した時代である。
「お姫様ですか」
「男爵だったらしいが」
「『爵位が一番下だった』って謙遜、生まれて初めて聞きました」
「謙遜ではない。誇るわけでもない。母の血など、今の私には関わりのないことなのに、皆が同じようなことを言うから、不思議だと思っただけだ」
 半世紀以上前に亡くなった沙羅の父が、男鬼であったか、女鬼であったかさえ、東雲には思い出すことができない。
 東雲の父のほうは、いくらか親しくしていたそうだが、たいした話を聞いたことはなかった。沙羅は父親にあんまり似てないわねと、そんなことを言っていたくらいだ。
 父親に似ていないのなら、母親に似たのだろうか。その、男爵家の娘だという女に。
 歳のわりには長身である沙羅の、高く括った髪が、ふわふわと目の前で揺れている。
「あれ? なんか髪のリボン変わりました?」
「よく気付くな」
「いつもちょうど目の前にあるんで。なんとなく」
 女の装飾品のことなど詳しくはないが、黒いリボンの光沢が、やや安っぽくなっているような気がする。
 並の女の髪飾りならば見過ごすだろう。沙羅に似合わないからこそ気付いた。
「あなたユニクロとか着ないでしょう」
「わからない。行ったことがない」
「俺も着ませんが、克己様はヒートテックお召しになってますよ」
「横文字には疎い」
「そういう話じゃねえと思う」
「どうせまた、私が高くとまっているだの何だのと言いたいのだろうが、お前も着ないのだろう。対等だ。お前の服とて安くはないのだろう」
「通俗性の話であって、値段の話じゃないですよ」
「私が通俗的な女でないからといって、お前たちに迷惑をかけたか? なぜ私だけが揶揄されるんだ」
「揶揄つうか。敬遠じゃないですか?」
「同じだ。お前たちは勝手に距離を取る」
「あなたも詰めには行かないでしょう」
 ぴた、と沙羅は立ち止まった。
 振り向かないまま、低い声で言った。
「今。この瞬間。私はお前に親愛を示してはいないか?」
「えっ」
 誰でもいいから選ばれたのだと思っていた。
 たん、と軽い音を立てて、沙羅が床板を蹴って駆け出した。
「もういい! 野暮天!」
「ええっ……」
 駆けていく沙羅を眺める。
 数メートルほどのあたりで立ち止まった。振り向いて怒鳴ってくる。
「こういうときは追いかけるものだろう!」
「めんどくせえ!」
 約百年を生きたが、女を追ったことなどない。
 仕方なく、早足程度で追いかけた。
 同じような速度で、沙羅が前を行く。髪がふわふわと揺れる。
「そろそろ風が冷たくなってきましたねえ」
「そうだな。秋の終わりが近い」
「黒いタイツは脚が細く見えるらしいですよ。ヒートテックのタイツはマジで暖かい、と万羽様が仰ってました」
「あの女は得だな。私などよりも高位なのに、そう見えない。選挙で有利になるタイプだ」
「選挙ってあなた」
「戸籍があるのだから行っている。納税もしてきたし、年金も払ってきたし、今は受給している」
「やっぱり変わってますよ、あなたは」
「お前たちの誰よりも、通俗的なのは私だろう。見方ひとつだ」
「戸籍ねえ。俺も確か、自分の戸籍を持ってたと思うんですが。それは死亡届を出して、しばらく後に、別の戸籍を刹那様に都合してもらいましたね」
「なぜだ? まだお前くらいの年の人間はいるだろう」
「いや、戦時中の話ですよ。男の戸籍だと徴兵されるでしょう」
「ああ」
 沙羅の歩調が遅くなる。
「すまない。私はそういうところが鈍いな」
「はい? 何が?」
「自分の死亡届を出しただとか――そういう話はしたいものではないだろう」
「は?」
 やはり、この女の価値感は理解できない。人間離れしているのはもちろん、一族からも浮いている。
 戸籍など、煩雑な紙切れに過ぎない。自分のものだろうが、他人のものだろうが、捏造したものだろうが、どうでもいい。職務質問に遭った際、免許証があればスムーズであるため、刹那に頼んで取得しただけだ。戸籍を持たない者も少なくはない。
 ――しかし。
 百年近くを生きて、初めて考える。
 ――父はなぜ、出生届などを出したのだろうか。
 年金――老齢年金の話だろう――を受給しているということは、沙羅の戸籍年齢は、六十五歳以上ということだ。わざわざそんな扱いにくい籍を得る必要はない。つまり、当初の東雲のものと同じく、自分自身の出生時に得たものなのだろう。
 東雲の父も、沙羅の父も、自身の子の出生を、人里に届けたということである。
 東雲には理解できない価値観であるが。
 その価値観を共有していた者同士が、親しくしていたということは、わかるような気がした。
「戸籍上の名前って、もしかして本名と同じですか」
「少し違う。当時としては大層ハイカラな名前だ。字は後から当てたものだ。当時、人名漢字としては認められていなかった」
「わざわざ字を変えたんですか?」
「本名に寄せたかった。『沙』の字も、当時は使えなかったそうだ。失礼な話だ」
「何がどう失礼なのかわかりませんが」
「おそらく父は、あやめの花が好きだったのだろうな」
「あやめさんですか?」
「違う。アイリスだ」
「アイリスさんですか? 平成でも相当ハイカラですよそれは。西帝君と張りますよ」
「そのままではない。アリサという。うすぎぬがある、と書いて有紗だ。言ったように、字は私が当てたものだが」
「アリサは、確かにあなたの年では相当ハイカラな名前ですね。ちょっと聞いたことねえな」
「私の産まれる前年に、芥川龍之介がルイス・キャロルの『アリス』を翻訳している。そこから来たのかも知れない」
「お父上、宣水様よりもハイカラでいらっしゃいますね」
 ふふふ、と上機嫌そうに笑って、沙羅は「そうだな」と言った。
「実際のところはわからないが、新しいものが好きであったそうだ。私も拓けた女でありたい。――さあ」
 台所に到着した。鰹出汁の香りが流れてくる。
「お前が言うところの、旧華族の令嬢、アリスの手料理だ。そのように言われるのは不本意だが、男からすれば、むしろ有り難かろう?」





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