ゆるおに 私のための苺
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私のための苺
「22 私のための苺」



 ガラスの器に盛られた苺は、つやつやと太っていて、想像していたよりもずっと立派だった。5、6個だろうか。ヘタの部分をナイフでカットされ、小さなピラミッド状に盛られている。
 苺を盛るだけのことにも、繊細さやセンスが現れるものだな、と沙羅は感心した。
「売り物のようだな」
「見掛けは良いのですが。召し上がってみてください」
 感嘆の声を漏らした沙羅とは反対に、白威は不満げにそう言った。
 差し出された華奢なフォークを、ピラミッドの下段の苺にさくりと刺す。上段の苺を転がさずに仕留める自信がなかったからだ。
 少し考えて、一口で食べることにした。苺を食する作法などわからないが、新鮮そうな果肉は、きっと沙羅の歯形を刻むだろう。それを男に見られるのは嫌だった。
 常温の果肉を噛むと、口の中に甘酸っぱさが広がる。
 咀嚼し、飲み込んだ。
「美味しい」
「酸味が強いでしょう」
「そうか? いい香りがする」
 世辞ではなく、本当にそう感じる。自家栽培にしては上等だ。売り物だと言われても、沙羅は気付かないと思う。
 しかし白威は、やはり釈然としないような顔をしていた。
「冷やすともっと酸味が立つので、常温でぎりぎり食べられます。土が悪かったのか、日に当たる時間が短かったのか」
「理想が高いな」
 思ったままのことを漏らしたのだが、白威は傷付いたように眉を寄せる。
 どうも、話がなめらかに通じない。価値観に隔たりがあるようだ。
「お前、年はいくつだったか」
「四十過ぎですが」
「ああ。なるほど」
 物腰が落ち着いているから、もう少しは年嵩だと思っていた。
 また白威の表情が暗くなる。誤解に気付いて、沙羅は言葉を足した。
「売り物の果物が甘くなったのは近年だ。私が若い頃に口にした果物は、こういう風味だったように思う」
「斎観もそのようなことを言っていましたが、出回っている苗は改良種ですから、私の育て方の問題です」
 真面目な男だな、と感心するが、それを口に出せば、またこの若き鬼は傷付くのだろう。手先の器用さに比例して、感性も細やかなようだった。
 近頃、少し言葉を交わすようになって知ったことだが、白威はどうも、自分自身を構成する、あらゆる要素を気に入らないらしい。たとえば線の細い容姿。たとえば柔らかな声。たとえばその生真面目さ。ふわりとウエーブがかった髪も、フレームの細い眼鏡も、控えめで穏やかな気質も、何もかもを疎んじているようだった。
 沙羅が見る限りは、劣等感に起因している。誰と比較しているのかもわかった。
 勝手に比べて、勝手に劣っていると感じ、勝手に落ち込んでいる。
 若さだな、と沙羅は好ましく思う。
 白威は優しげで端正な顔をした、器用で気の利く男だ。絶対評価で判断すれば、貶す者など居ないはずだ。誰からも好かれるだろう。一族の者からも、人間の女からも。
 ただし相対評価で見ると、印象の強い男ではない。さらりとした雰囲気のために、影は薄い。
 傍らに立つ者たちの陰影が濃すぎる、という話でもある。そして白威が気にするのは、まさしくそのことなのだろう。
 白威は繊細だが、その分、図々しさとでも呼ぶべき逞しさに欠く。
 そしてそれは、ある種の鬼の心にしか育たないものだった。
 沙羅は有している。東雲も有している。斎観も有している。神無などはその塊だ。
 要するに、生まれついた血筋の格である。
 この狭い山において、血とは素質であり、権力であり、それらによって約束される傲慢さだ。
 下剋上は困難である。ほとんどの鬼は、生まれついた階級のまま、上がることも落ちることもなく暮らす。
 そういうものだからだ。
 沙羅は――この百年で、もっとも輝かしい血に生まれたと言われる鬼である。
 だから、白威の悩みに寄り添うに際して、もっとも不向きな女だった。互いにそれを承知しているから、白威が腹を割ることはないし、沙羅が過剰に踏み込むこともしない。
 少し寂しいと感じるが、その感情こそが、強者の驕慢なのだろう。その程度の機微はわかるつもりだ。
 神無や斎観は、白威の劣等感に気付いているのだろうか、と考える。目の前の果実のような、整った見目に内包される酸味。
 フォークを持ち上げ、ふたつめの苺を刺した。
 口に入れる。やはり美味いと感じた。
 さらにもうひとつ食べてから、沙羅は言った。
「私は斎観のことが少し苦手だ」
 白威が顔を上げる。眼鏡の奥の、色素の薄い瞳が、驚いたように沙羅を見た。
「そうなのですか?」
「豪礼と顔が似ている分、中身の違いが気になる。見透かすくせに盲目のふりをする、あの小賢しさも、女のようで嫌らしい。典雅と少し似ているな。周りを見下している。あれが兄弟子だと疲れるだろう」
「その通りです」
 認めた白威の声は、ほとんど疲れ果てていた。
「欠点のない兄弟子がいると、肩身が狭いのです。あれは――私がそう感じていることにも気付いていて、それこそ、気付かないふりをしているので、余計に癪に触ります。独り相撲ですね」
「欠点がないように見えるのか。お前からは」
「客観的な事実だと思いますが」
「陰口を言うつもりもないが、欠けているところは多いだろう。影絵のような男だ。生まれ持った光と、根付いた影をうまく切り抜いて、わかりやすい姿をこしらえている。甘い果物と同じだな。不自然に輪郭がくっきりしていて、コントラストが過剰だ。その品種改良は努力であろうし、一般には良いことなのだろうが、私は苦手だ。苺は甘すぎない方がいいと思う」
 沙羅はあまり会話の上手い方ではないが、今の比喩は適切だったはずだ。
 白威の兄弟子は、沙羅の兄弟子と似ているからだ。今の言葉の半分は、斎観のために探したものではない。以前から沙羅の中に溜まっていたものである。
 白威の視線が揺れた。その揺れが、よそよそしさを示しているように感じられる。想定した反応とは異なっていた。
「おかしなことを言ったか?」
「いいえ。おそらく正しいのだと思います。ただ、俯瞰というものは上位からしか行えないのだと、そう感じただけです。あなたは私よりも高位である斎観の、さらに高位におられるのですね」
 何か不自然なものを感じて、沙羅は少し黙った。自分のこうした勘は信用している。
 気付いた。
「お前は今、矛盾したが。そのことには気付いているのか」
「矛盾?」
 怪訝そうな表情が、いかにも若い。人間の青年と同じように見える。
「お前は私のことを俯瞰で見ただろう。円環になっている」
「――そんなつもりは」
「お前がどんなつもりでも、お前の視線は、私や斎観を見下している。いや、お前は見上げているつもりなのだろうが、ジャッジを下した時点で、上位に立っている。東雲と同じだ。私を勝手に判断して、勝手に距離を取る。親しくなりたいという私の気持ちを無視して、勝手に遠巻きにして、私の気位が高いだの、近寄りがたいだのと言う。責任転嫁だ」
 自分の愚痴になっている、ということに気付いた。
 白威はしばらく黙っていたが、やがて少しだけ笑った。無邪気に見える表情だった。
「東雲さんと仲がよろしいのですね」
「話を聞いていたか? 悪くはないが、良くはない」
「親しくなりたい、と思っていらっしゃるのでしょう」
「兄妹弟子の仲は円満に越したことはないだろう。師のためにも」
 沙羅の照れ隠しを見透かしたように、白威は目を細めた。この瞬間こそ、完全に上下関係は逆転していた。
 兄弟子と育てた、赤い果実――野菜だったか――を見ながら、白威は言った。
「私と斎観は、互いにテリトリーを保って、踏み入らないように気を使っています。近付けば良いことはないとわかっているので、親しくなるつもりはありません」
「一緒に家庭菜園を作っている時点で、私と東雲よりは親しいと思うが」
「共同運営者というだけで、親しさは関係ありません。神無様のお世話と同じで、そう――同僚です。友ではありません。30年をそう暮らしました」
 確かに――と沙羅は考える。
 斎観と白威の間柄には、独特の淡白さが感じられる。沙羅はそれを、ある種の夫婦にも似る、と感じていた。落ち着いた定型。ポジティブでもネガティブでも、ウエットでもドライでもない、フラットな位置関係。
 適温は、自然発生するものではない。
 互いの計算と思惑によって、そう保たれているのだろう。
 だから沙羅と東雲の間には、それが存在していない。平淡ささえ無い。関係性を持たない、別個の存在だ。
 書類上は兄妹弟子だが、実際は他者だ。
 斎観と白威は、兄弟弟子ではあるのだろう。実際的にも。
「関係性を育むことは、植物を育てることに似るのかも知れんな」
 だから白威らには維持できているのかも知れない。
 あるいは、師の性質が従者に現れる、ということなのかも知れなかった。克己は優しいが、沙羅に構わない。あまり関心がないのだろう。沙羅と東雲の関係性も、ほとんど気にかけてはいないようだった。
 神無はおそらく、従者を選ぶ。空気を読むこと、調整すること、維持することに長けた者のみを迎え入れるのだろう。
 フォークをまた、新しい苺に突き刺した。
「なぜ私に摘んできてくれた?」
「赤い果実がお好きだと、以前うかがいましたので」
「神無には出さないのだろう」
「ええ、神無様に差し上げるには出来があまり――あ、申し訳ありません」
「いや」
 沙羅は今、嬉しさを感じている。
 あまり出来が良くはないと判断した上で、空気を読めるこの男が、沙羅に作物を運んでくれたということに、なんらかの特殊性を読み取ってもいい気がしたのだ。
 斎観ではなく、白威の行動であるという点に、沙羅は尊さを見出している。
「ありがとう」
 遅い礼を言った。
「おそらく、わざわざ――美しい苺を摘んできてくれたのだろう。嬉しい。私に花を贈ってくれる男はいても、作物を分けてくれる男はいなかった」
「あ、その。下心があるわけではありませんので」
「わかっている」
 だから嬉しいのだった。
「友情を感じる」
 口に出したら真実になるような気がしたので、はっきりとした発音でそう言った。
 白威は曖昧に目元を緩めた。困っているようにも、はにかんでいるようにも見える。
 いとおしい、と感じた。性愛の意味ではない。東雲に対してときどき感じる、うっすらとした気持ちが、目の前に結実したような思いだった。
 悩みに寄り添うことも、心のひだを分かち合うことも、肉体を重ねることもないだろうが。
 この男を好きだと感じた。そして、それを維持したいと思う。
「好きだ」
「すみません」
「早い。違う。そういう意味ではない。私には兄弟がいないが、弟がいたらこういう感じだろうかと思って」
「弟弟子としては可愛げがない、と兄弟子から言われたことがありますが」
「そうか? 男から見るとそういうものなのだろうか。お前は理想の弟弟子だと思う。ベストブラザー賞だ」
「授賞を光栄に思います。これも皆様のご声援のおかげです」
「……私は足が太くてジーンズとの相性が悪い」
「スカートの方がお似合いです」
「すばらしい回答だ。東雲はこういう時に『多少足が太いほうが好ましい』だのということを下世話な語彙で言う。お前と義兄弟の盃を交わしたい」
「光栄です」
 握手を申し出れば困惑されそうだったため、目礼で親愛を示す。
「だが、斎観の気持ちも多少はわからないでもない」
「左様ですか」
「私だけがものを食べているというのは少し落ち着かない。神無は平気なのだろうが、お前は私の従者ではないから、なるべく対等な行動を取っていたい」
 ガラスの器を押し出す。苺はあとふたつ残っている。
「食べるといい」
「摘みながら、形の崩れているものをたらふく食べたのですが」
「私の勧めた苺を食べるということが大事だろう」
「対等ではなく、上下関係が発生していると思いますが……」
 白威は意外にもフォークを使わず、手で苺をつまんで口の中に入れた。
「さては間接キスを避けたな」
「礼儀です。女性と同じフォークは使えません」
「神無に操を立てているのか?」
「愛人は作りますが、一族の女性とはあまり親しくならないようにしています。操というよりも、その」
「神無が妬くか?」
「不機嫌にはなります」
「お師さまは私の男関係に興味がない。お前は大事にされているのだな」
「そうだと良いのですが。あの、伺ってもよろしいでしょうか。なぜ沙羅さんは、その、克己様に師事なさったのですか」
「よく訊かれるが、お前も気になるのか」
「すみません」
 その表情から、沙羅の師の不評を感じ取る。
 偽る理由もないため、正直に答えた。
「部屋が近かったからだ」
「はい?」
「私の父と、克己様のお部屋は近かった。だから幼い頃から優しくしていただくことが多かった。私は身勝手な性質の女だから、自由にさせてくれる師が良かった。それだけのことだ」
「あなたなら引く手は数多だったと思うのですが。当代一の麒麟児でおられるのですから」
「いろいろと声を掛けられることはあったが、ピンと来なかった。私は薄情な女だから、克己様は合っていると思う。あの方は穏やかで、そして情が薄いからな」
「克己様はともかく、あなたの情が薄いとは思えないのですが」
「世辞なら不要だ」
「ここで世辞を言えるほど器用ではありません」
「口説いているのか?」
「違います」
「早い。もう少し駆け引きの振りをしてもいいだろう。私は女で、お前は男なのだから」
「格が違います。それに、私はあまり女性に興味がありません」
「どういうことだ? 典雅と同じ趣味ということか?」
「左様ですね。ほぼ」
 男姿で暮らしながら、性愛の対象は男であるということだ。
 道理で、沙羅の色目もはったりも通じなかったわけである。
「つまらん男だな」
「恐縮です」
「私はそれほど色気のない女か?」
「十二分におありかと思いますが、私は女性の色気が苦手なのです」
「東雲は女が好きだが、私には興味がない」
「東雲さんの趣味は存じませんが、あなたは……ちょっと手を出そう、などと思えない高貴さを発しておられるので、敷居が高いのだと思います。……東雲さんにご懸想を?」
「そんなわけがあるか。思い通りにならない男が身近にいて、気に入らないだけだ」
「意外に子供のようなことを仰いますね」
「魔性の女だ」
「自称なさるものではないかと思いますが、その通りなのでしょう」
「お前、身長はいくつある?」
「はい? ええと、申し訳ありません。正確にはわかりません」
「私よりは高いな? 並ぶと絵になろう」
「なりません。こちらが完敗です」
「だが、東雲よりはいいだろう。あの男を連れて歩くのは恥ずかしい。お前ならば、連れ立てば誇らしかろうな。神無がお前を好んで連れ回すのもわかる。お前には女に近いような、儚げな色気がある」
 白威は表情に迷ったようだったが、ありがとうございますと言って、控えめに微笑んだ。






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