ゆるおに カフェ斎観
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カフェ斎観
「23 カフェ斎観」  



 白威の生活は規則正しい。
 毎朝六時、遅くとも七時には起き出して、洗濯や掃除などに取り掛かっている。
「当番じゃねえ日は、別にやらなくてもいいのに」
 と以前に斎観が言ったところ、リビングで洗濯物を畳んでいた弟弟子は、顔も上げずに答えた。
「生活リズムを崩したくない。神無様には何も言っていないから、お前がやっているものだと思っていらっしゃるだろう」
 そういう問題ではない、と思ったが、面倒だったので「あっそう」とだけ返した。

 今日もまた、当番でもないのに、弟弟子は朝のリビングにクイックルワイパーを掛けていた。
「あれ? 替えシートまだ残ってたか?」
 朝の挨拶を交わす習慣はない。白威も手を止めずに「さっきコンビニで買ってきた」と答えた。
「そりゃどうも。レシート出しといてくれ」
「別にこのくらいはいい」
「あっそう」
 洗い物でもあるかとキッチンに回ったが、すでにシンクまで磨かれていた。
 無意味に手を洗ってみる。手を拭うためのタオルも、新しいものが用意されていた。
 冷蔵庫を開ける。今日で賞味期限が切れる牛乳パックが処分され、替わりに新しい牛乳が入っていた。卵も買い足されている。
 ミネラルウォーターのペットボトルを取り出して、電気ケトルに注いだ。スイッチを入れる。
「なんか飲むか?」
 ソファの下の隙間までワイパーを滑らせている白威に声を掛ける。
 「コーヒーを」という、素っ気ない答えが返ってきた。
「なんでもいいか?」
「昨日挽いたモカの粉が残っているだろう」
「あ、すまん。昨日のうちに飲んじまった」
「それならなんでもいい」
 どうでもよさそうに答えて、ワイパーのシートを替えている。
 ダイニングと間続きのリビングには、大きな窓からの朝日がよく入る。白威の色素の薄い髪が飴色に透けていた。
 家政夫には見えない。令息風だ。
 換気扇を回して、戸棚からコーヒーミルと、遮光パック入りの豆を取り出した。この家でコーヒーにこだわりを持つ者はいないが、製菓に使うため、ときどき仕入れてくるのだった。ラベルには『コロンビア』と凝った字体で印刷されている。
 目分量でミルに豆をセットして、ハンドルを回した。ごりごりと心地良い手応えが伝わってくる。
 白威の無地のマグカップと、色違いの自分のカップを、食器棚から取り出した。この家の食器はほとんどが無印良品で買ったもので、誰もそれに不満を持っていない。
 神無はコーヒーを飲まないため、ポットに作り溜めず、カップに直接淹れてしまうことにする。ドリッパーにペーパーフィルターをセットすると、ちょうどケトルの湯が沸いた。
 目分量と勘で、適当に粉を入れ、適当に蒸らして、適当に淹れる。
「コロンビアだが、砂糖とミルクは?」
「いらない」
 ちょうど一区切りついたのか、白威がワイパーを持って廊下へ出て行った。納戸にしまう音、洗面所で水を流す音が聞こえてくる。
 簡単にキッチンを片付けていると、白威が戻ってきた。無言で近付いてきて、無言のままカップを持ち上げ、無言のまま口をつける。
「ここで立ち飲みかよ」
「悪いか?」
「朝の一服くらい、座ってゆっくりしろよ。神無様もまだ起きねえだろうし」
「うるさい男だな」
 そう言いながら、白威は自分のカップを持ってリビングへと向かった。斎観もそのあとに続く。
 それぞれスツールに腰掛け、静かにコーヒーを飲む。
 柔らかな初冬の朝日。清潔なフローリング。淹れたてのコーヒーの香り。
「健全な朝だな」
 斎観がそう言うと、白威は少し笑った。
「俺は毎朝こうだ。お前は今日は早いな」
「明け方に帰ってきて、ちょっと寝たんだが、なんかすぐ目が覚めた」
「シフトが入っていない時間に出かけるのはお前の自由だが、夜はできるだけ、神無様がお休みになってからにしたらどうだ。寝つきの悪い日にお前がいないと不機嫌そうだ」
「ああ、最近ちょっと多いみたいだな。やっぱり空気が合ってないのかね」
「多少はメンタル的なこともあると思う。……資金繰りもそう楽ではないだろう。もう少し家賃の安いマンションを探すべきだったかも知れない」
「財布のことに口出すと怒るから、そのへん把握できねえのがやりにくいよな。山を出るときに刹那様が少し財産を分けてくれてるはずなんだが、額は知らねえし」
「最悪、2LDKで、俺とお前が同室というのも考えるべきかも知れない」
「メチャクチャ暮らしにくいなそれ。そうなったら女の家に住みてえ」
「なるべく神無様のおそばにいろと言っている。そのくらい我慢しろ」
「つうか、俺よりも、お前の方がやりにくいだろ」
「別にそう気にしない。山にいた頃はずっと父と同室だったし、夜さえ静かに眠れたらいい」
「夜も眠れねえほどお前を求めたりはしねえから安心しろ」
「馬鹿か」
 その声にも柔らかさがある。いつも思うが、白威は朝の方が機嫌が良い。
 コーヒーの香りの溜め息を吐いて、白威はリラックスした表情を浮かべた。
「お前が淹れたコーヒーの方が美味い気がするな。淹れ方が違うのか?」
 そんな愛想まで言う。珍しいことだった。
「同じ豆を同じように挽いてると思うが。強いて言うなら、割れ目が歪んでるとか、欠けてるとか、そういう豆は捨ててる。雑味が出るらしいから」
「コーヒーの雑味などにこだわるほど舌は肥えていないが」
「俺もそうだけどな。豆売ってるコーヒーショップのじいさんがアドバイスしてくれたから、試しにそうしてみたら、やっぱり美味くなった気がする」
「そのじいさんは、間引くべき豆が混じっていることを承知で売っているのか?」
「じいさんに豆を捨てるような権限はないんだろ。良いじいさんだぞ。悪口言うなよ」
 中年男と老年男が、老年男の話をしている。
 華やかなコーヒーの香りとのギャップが少し可笑しい。
「神無様がコーヒーを召し上がらないのは、苦いからか?」
「それもあるんだろうが、カフェインがお身体に合ってねえ気もする」
「俺たちの身体にカフェインは効くのか」
「体質によっては効く、と此紀様が言ってた気がする。紅茶や緑茶は平気なんだが、コーヒーは吸収率が高いから、とかなんとか」
「レッドブルも効くのか」
「何から吸収できるだとかは知らねえよ」
 どうでもいい雑談を交わしながらコーヒーを飲む。
「お前はあれなの? 相変わらず、男のほうが好きなの?」
「放っておけ。生まれついた性質だ。そう変わるものじゃない」
「抱いてやろうか?」
 白威は鼻で笑った。
「誰が」
 素っ気ない。神無の前で同じことを提案すれば、もう少しは大きなリアクションを起こすだろう。
 師の目がなければ余裕があるのか、あるいは、これが地なのか。
 付き合いは長いが、まだ読みきれないところがある。
「その身体じゃ男には会えねえだろう」
「神無様がお世話をしてくださっている。お前には関係ない」
 この弟弟子は、男色というよりも、心根が女に近いらしい。体力さえ持つならば、女姿で暮らしたいと思っているようだ。
 そこが神無のツボに今ひとつ入りきらない要因なのだろう。師はオスの犬を好む。
「お前、もし神無様がお亡くなりになったら、やっぱり山に戻るの?」
「どうかな」
 縁起でもない、と怒るかとも思ったが、淡白な表情でコーヒーを飲んでいる。
「あの山よりは、街のほうが過ごしやすい。身体はともかく、精神的には」
「そしたらお前、女姿で暮らすの?」
「そんな体力があるわけがないだろう」
「俺が分けてやるっつったら?」
 眼鏡の奥の、色素の薄い瞳が斎観を見た。懐疑。
「どういう目論見でだ」
「目論見ってお前。いや、なんつうか。恩給っつうか」
「恩給?」
 その言葉の意味を知らないかのように、白威は怪訝そうな表情を浮かべる。
「お前、身体しんどいのに山下りて暮らして、神無様のご趣味にも付き合ってるだろ。俺もまあ、お前に相当なことをしてきたわけだし」
「気色の悪い」
 吐き捨てるように言って、弟弟子は顔を背けた。その仕草が本当に女のようだ、などと考える。
「仕事だと割り切っている。時間外に、業務の話をするな」
「ああ、すまん。そういうアレか」
 だから白威は、朝のほうが機嫌が良いのかも知れない。業務時間外で、解放されているのだろう。
 ならばこれは、斎観のほうがルール違反である。キャバクラ嬢をプライベートで誘うようなものだ。それが許されるのは、嬢から好かれている客だけである。かつての愛人だったキャバクラ嬢がそう言っていた。
「悪かった」
「しつこい」
 女のように取り付く島がない。
 黙ってコーヒーを飲む。
 空気が悪くなってもおかしくはなかったが、大きな窓から差し込む朝日があまりに爽やかであるため、悪くなりようがなかった。
 ここを引っ越すにしても、日当たりは重要だ。そんなことを考える。
 明るい陽の中でコーヒーを飲む白威の横顔は、穏やかさと冷たさを同時に放っていた。
 神無に似ている。
 ほんの一瞬、一秒よりも短い刹那の時間、そう思った。





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