ゆるおに Dessert
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Dessert
「24 Dessert」  



「アイスクリームは、手作りがいちばん美味しいのだそうだ」
 よく誤解されるが、口実もなく、親しくもない者の部屋を訪れるほど、沙羅は図々しい性質ではない。
 慎ましいというわけでもないが、そう身勝手ではないつもりだった。特に、女に対しては。
 正面に座る万羽は微笑んでいて、客を歓迎しているように見えた。だが、この女はいつもこんな顔をしている。裏表がある女だとも思わないが、顔に本音が出るほうでもないだろう。
 沙羅はその目から視線を外して、手元のアイスクリームの説明をする。
「何だかという木の実が入っていて、とてもよくできたと言っていた」
 自分で言っておいて、情報の胡乱さに呆れた。洒落た木の実の名は、この部屋に来る間に忘れてしまった。
 万羽はにっこり笑って、小さく両手を広げた。
「おいしそう。ちょうだい。溶けちゃうわ」
 実際、柔らかく練られたアイスクリームは、すでに溶けかかっていた。
 銀のスプーンを添えて、ガラスの器の片方を、万羽に差し出した。
「ありがとう」
 万羽は音を立てずにスプーンを手に取り、その淡い卵色のクリームをすくった。
 それを口に運ぶ仕草が、何とも言えず上品だった。姿勢がよく、優雅で物慣れている。
 顔立ちも化粧も今風の女であるから、こうしたときの礼儀正しさが際立つ。沙羅は茶も琴も習ったことがあるが、だからこそ女の仕草には目が利いた。万羽の背筋はぴんと伸びていて、それは胸や腰の線をなめらかに描き出す。美しい姿勢は女らしさを強調していた。
「おいしい」
 昔から思っていたが、万羽はものの言い方が甘ったるく、優しい。男にも女にも、年寄りにも子供にも、同じように喋りかけるというのは、この女の大きな美点であろう。
「マカダミアナッツね。あたし大好き。クリームも甘くて、とってもおいしい」
 なんと可愛らしいものの言い方をする女だろうと、沙羅は軽く打ちのめされる。「あたし大好き」。これほど単純で、これほど無邪気な言葉を、自分は一度でも口にしたことがあるだろうか。こんなことを目の前で言われれば、たとえ冷たい菓子に向けられたものであれ、男はすぐにやられてしまうだろう。
 学習するが、真似をできそうにはなかった。あたし大好き。心の中で呟いてみたが、とても自分の硬い声や、中性的な顔立ちには似合わない。
 菓子に対する感想も、また可愛らしい。甘くておいしい。気恥ずかしくなるほど、率直で幼い表現だ。それが万羽の優しい声で発されると、とても耳に心地よい。
 自分もスプーンを取り、アイスクリームを口にした。ひんやりと甘いミルクの味わい。バニラは使っていないらしく、木の実の香ばしさが立っていた。舌の上で溶け出したクリームには、かすかにキャラメルの後味がある。
 こっくりと美味な氷菓子だった。二人分だからと遠慮して、控えめに盛ってもらったことを後悔する。
「手作りなの? すごいじゃない。誰が作ったの」
「桐生の父親だ」
 それが一番、通りのよい言い方だろうと思った。豪礼の子は三人、神無の従者は二人いる。
 ふうんと言って、万羽は小首をかしげた。長い髪がさらさらと揺れる。
「仲がいいの?」
「それほどでもない。たまたま厨房を通りがかったら、作ったので持って行かないかと声を掛けられた」
「それは仲がいいんじゃない? あたし、話しかけられることなんてないわよ」
「お前に話しかけられる男はいないだろう。あの男は私よりはずっと年上だが、お前よりはずっと下だ」
「そんなお婆ちゃんじゃないわよ」
 万羽の甘い声は、確かに年を感じさせない。アイスクリームをすくう仕草はゆっくりとしていて、厳しい父に躾けられた気品がある。いや、万羽はとうに、父親の教育などはるか昔という年齢になっている。若い女に見えるのと、父親の顔を知っているものだから、ついそんなことを考えてしまうのだ。
 スプーンを置く仕草も、小さく甘い菓子への満足感を示して愛らしい。沙羅など、もうふたつは食べたいと思っている。
 沙羅は近頃、女をよく観察しているが、さすがに万羽は隙がない。神無や此紀などは、男に近いようなところがあるが、万羽は女として熟成している。
 化粧は少し濃いような気もするが、顔が可愛らしいので構わないだろう。耳と手首に小さなアクセサリーが光っている。以前から、それを羨ましいと思っていた。四つ葉や蝶を模した、とても愛らしいデザインで、万羽によく似合う。
「いいな。ヴァンクリか」
 女の小物などに疎い沙羅でさえ、そのジュエリーブランドの名は知っている。耳飾りや指輪をひとつくらいは欲しいと思っていた。
 万羽は大きな目を愛らしく見開いた。
「買ってくれるでしょ、あんたの男なら」
「上手くねだれない。そんな気の利いた店で買ってくれる男はいない」
「自分で買ってもいいんじゃない?」
「高価だ。私はそれほど金を持っていない」
「あら? なんで?」
「男から大きな金を受け取りたくない」
「損じゃない? あんたの男も、みんな結婚してるでしょ。お金ももらわないのに付き合って、何かいいことがあるの?」
 こうしたことを喋っても、万羽の声だと優しく聞こえる。此紀が喋ると蓮っ葉になり、自分が喋れば不愛想になるだろう。
 独身の男としか付き合わない、という若い女もいるが、沙羅の好みに当てはまる男は必ず結婚している。万羽の好みは、金を持っている男だろう。それも当然、既婚者だ。金持ちで独身という変わり者は、おそらく万羽の趣味ではない。
 沙羅も独身の男と付き合ったことがあるが、未来が自由になる男というものは、面倒な約束を取り付けようとする。妻を持つ男の、型に嵌まった不自由さがちょうどいい。
 沙羅が簡単にそう言うと、万羽は小さく唇を尖らせた。
「あたしは別に、結婚してる男が好きなわけじゃないけど。それに今は、お金を持ってて独身の男だっていっぱいいるわよ。若いのに考えが古いわ」
「そうか? 独身で金を持っていて、お前にそんな可愛らしい贈り物をしてくれる男は、かなり癖があると思うが。結婚しているほうが健全だ」
「冷めた言い方するのね」
 少し拗ねたような言い方が、また可愛らしい。
 アイスクリームを食べ終えても、口紅は明るく発色している。
「飲み物も持ってくるのだったな」
「ワイン飲む? おいしい貴腐ワイン」
「いや、遠慮する」
 酒は好きなほうだが、甘いワインというのはどうも口に合わない。沙羅の好みは、白でも辛口の爽やかなものだ。
「ワインってもらうんだけど、あたしはひとりじゃ一本飲めないから、減らないの」
「此紀は酒が好きだろう」
「ちがうの、此紀からもらうの。此紀が好きなのは、辛口の白か渋い赤なのね。甘い白なんて飲めないって」
「そういえば、私と似たような酒を飲むのだったな」
 あの煙草を吸う女と、それなりに良いものだけを口にするようにしている自分とが、同じ好みだというのは複雑な気分だ。
 喫煙者に味のわかる者などいない、というのが沙羅の考えだが、沙羅の男はそれを笑う。強い酒を味わい、重い煙草を呑むのが、ほんとうの快楽なのだそうだ。
 万羽は清潔な印象の女だが、それは引き締まった身体の線と、ほのかな香水の香りによるところも大きい。煙草を吸う女は、どんなに気を遣っても、煤けたような気配がある。あれは清潔とは言えない、と沙羅は思っていた。此紀はそれでも、香水と、吸っている銘柄とをうまく合わせて、都会的と言えなくもない匂いを漂わせているが。
「お前と外でものを食べたことはないな」
「そお? そうかも。あたし、そんなに食べることに興味ないみたい。男に誘われなきゃ、たぶん行かないわ」
「お前なら、いい店をたくさん知っていそうだが」
「忘れちゃうわ、そんなの。行った店のことなんて覚えられない」
 そう馬鹿な女ではないのに、奔放で無頓着なものの言い方をする。これは弥風に近いところがあった。
「食べるものに興味がないというのは、よく聞く話だが」
「血なんてすごく濃いじゃない。あれに慣れるから、ほかのものの味がどうでもよくなるんじゃない?」
 こうした話は、若い者も年寄りも避けるのが普通だ。本能の部分から目を背けて、霞を食っているような顔をする。親兄弟の、そのときの姿を想像するとぞっとする、と言う者もいた。
 普通の人間もそのようなものだろう、と沙羅は思っている。牛の肉を食べるからと言って、屠殺の場面を想像したり、語らったりしたい者はいないはずだ。
「好きな食べ物というのはあるだろう」
「うーん。聞かれたら、ケーキって答える」
「子供ではあるまいし」
 少し呆れた。女にそれを問う男は、どんな店で夕食をともにしようか、という腹積もりでいるのだ。ケーキではどうしようもない。
 万羽はくすっと笑う。
「あんたは指輪はねだれなくても、食べるものをねだるのは上手みたい。最近は何がおいしいの」
「私は中華が好きだな。コース仕立てで出すような垢抜けたところより、大皿料理の店だ。大きな皿にたっぷりと熱い料理が盛られるのは、流行りではないかも知れないが、豊かさの原風景だ。四川の辛い炒め物など、特にエネルギッシュでおいしい」
「いいわね」
 ふふっと笑う声に、嫌味なところは見られない。
「あんたみたいな女が、そうやって喜ぶなら、おいしい店に連れて行くわよね。お金を持ってる男って、よく食べる女が好きだし」
「それはそうだな。小食の女を見ると、悪口を言っている」
「女の悪口なんて言うの?」
「私の男は、お前のところと違って、育ちが悪いからな」
「そんなこと言って。そういう男が好きなんでしょ」
 此紀なら、もっと辛辣な言い方をするだろう。万羽は、おっとりしているというのも違うが、万事に余裕を持つ女の、適度に距離のある言い方をした。
 親切な女は手厳しく、薄情な女は軽やかだ。困ったことが起きたとき、親身になってくれるのは此紀だが、あの説教を聞きたくないこともある。
「実は」
 長い前置きを経て、やっと沙羅は話を切り出した。
「私の男が逮捕されて、私も警察署に呼ばれている」
「まずいの?」
 驚くこともなく、万羽は小首を傾げている。
「参考人というだけだが、私は戸籍が七十を過ぎているので」
「どうしてそんな面倒くさい戸籍を使ってるの」
「出生時のものだ」
「なるほどね。わかった、言っておいてあげる。兵庫県警?」
 その言葉も、アイスクリームを美味しいと言ったように、ぽんと発せられた。「言っておいてあげる」。弥風にだろうか、それとも警察に伝手を持つ男にだろうか。
 その言い方の軽さに反して、この女は約束を守るだろうと思った。
「神奈川県警だ。大丈夫だろうか」
「あたしが大丈夫って言うことはできないけど、あんたが警察に行かなくて済むようにするのは、難しいことじゃないでしょ。こっちが駄目なら、刹那が何とかしてくれるわよ。でも、刹那には言いたくないんでしょ?」
「すまない」
 いいわよ、と万羽は軽く手を振った。そのほっそりとした手首に、水色の蝶が揺れている。






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