ゆるおに Trick
FC2ブログ

【メニュー】



Trick
「28 Trick」 
 

「Ever」  「そして赤い石」  「直訳にあらず」  「兄ではない男」  「Never」




 ――以上、スペイン語講座でした。

「何? あんたも帰化とか考えてるんじゃないよね」
 ふすまを開きながら西帝がそう言うと、兄はびくっと大きな身体を揺らした。あぐらをかいて、何か、小さな機械のようなものを手にしている。
 驚いてしまったことに、怒りが追いついたらしく、恨みがましく見上げてきた。
「一声かけてから開けろ。かけながら開けるな」
「開けてよさそうかどうかくらいは様子をうかがって開けてるよ。何――ラジオ?」
 兄の手にあるのは、文庫本ほどの大きさの、銀色の機械だ。そこから音楽が漏れ出している。
 兄がスイッチを押すと、音が止まった。
「ラジオつうか、まあ。録音機能がついてる」
「今時、そんなもん売ってるんだ。スマートフォンで全部済むだろうに」
「ああ――そうか。ああ」
 自分の額を、二度、三度と叩いている。
「わざわざしょうもないもんを買っちまったわ。そうだな、今はスマホで何もかも、だ」
「ラジオ聴くの? アプリ見てやろうか?」
 目についた座布団を引っ張って、兄の斜め向かいに座る。
 大きな身体をいかにもしょぼくれさせて、兄は「違う」とうめくように言った。
「録音機器っつうのがな、天敵だと思ったんだ。俺がどんなに煙に巻いたところで、会話を録音されると誤魔化せねえ」
「女関係?」
「いや――いや、まあ。広く言うと、そうだな」
 結婚詐欺でも働いているのだろうか。感心なことである。
 座卓にあった白い箱を開けると、工夫のない温泉まんじゅうが入っていた。三段に三個。
 ひとつ取って、個包装を剥く。
「お前、一言くらい断れよ」
「九個だと縁起が悪いかと思って。おお、うまくもまずくもないな。行ったの? 温泉」
「自分でこんなどうでもいいまんじゅう買わんだろ」
 兄にしては珍しく、突っかかった物言いをする。
 よほど機嫌が悪いらしい。
「どうしたんだよ」
 少しだけ心配になった。すでに起訴されたとか、そういった段階なのだろうか。
 薄型のラジオだかレコーダーだかを投げ出して、兄は天井を睨んだ。
「だいたい、役者が少ねえんだ。オリエント急行には人数が必要だろうが」
「俺も刺してやろうか?」
 適当なことを言うと、兄の大きな黒目がぐるっと動き、西帝を見つめた。
「お前、いい奴だな」
「さあ? 悪い奴ではないと思うけど」
「俺が困っていると見るや、事情も聞かずに助けてくれようとは」
「いやいや、そんなマジのやつだと、二つ返事ではできないけども。まあ、あんたには育ててもらった恩があるから、俺もそりゃね」
 自分で言いながら照れたので、語尾で茶化したつもりだったのだが、兄は目を見張っている。ははあ、などと言い出した。
「これが信頼関係か。お前のことなら信用できるな、確かに」
「よせやい」
 二個目のまんじゅうを食う。食いながら考えた。
 信頼関係という言葉は、こそばゆいが、胸に響いた。血縁というものにポジティブな印象を持てない西帝としては、それ以外の関係を兄と築いているということに、安堵もするし喜びもある。
 誇らしさもあった。かつては守られるだけの自分であったが、困っている兄に助力できるようになったのだ。子細は知らないが。
 兄は大仰に顔をしかめた。
「ちょっと前、ほれ――首飾りがどうのってとき、神無様のことを話したろ。予言のシステムを」
「システムっていうか、結局よくわからないって話だったろ」
「そう思ってくれたんならいい。あいつが要らんことをペラペラ喋るから、肝が冷えたわ」
「あいつ? 白威さんのこと? そんなに喋ってたっけ」
「此紀様も、お前くらい聞き流してくれりゃいいんだが。ひとりでメチャクチャ塔を建てようとするから、崩すのに必死だわ」
「たぶんバベルの塔のことなんだろうけど、ひとりで建てたら言語はひとつだろ。バラバラになりようがない」
「そりゃそうだな。じゃあ、ええと」
「単独で天に至ろうとしてる罰当たり、みたいなことを言いたいんなら、イカロスの翼とかが合ってるんじゃないか」
「なるほど、ギリシャ神話の」
 兄はこれで読書家だ。解釈は多少いい加減だが、打てば響くだけの知識はある。
「罰当たりつうか、来られると面倒っていう話なんだが。散らかってるからおもてなしもできねえし」
「何の話?」
「サンタ神話はトナカイの協力あってこそ、つう話だ。いい大人、それも賢い大人が、本気で暴きに来るとしんどい」
「インチキなの? 予言」
「それは本物だ。予言は百発百中だが、巫女はヤク中で支離滅裂だ。バレたら処分される」
「処分って――神無様がってこと? 誰に? 誰にも無理だろ、物理的に」
「なんで無理だよ」
「だって、脳みそ炸裂ビーム出すんだろ」
「信じてるのか?」
 サンタクロースを信じる三十歳を見る顔だった。
「出さないの?」
 サンタクロースはいない、と宣言された三歳児のような声が出た。
 兄は少し困ったように首をひねった。
「結果として、対峙した者は死ぬ。だから、ビームが出てると思うんならそれでいい」
「出てないんじゃん」
 ショーウィンドウの中のケーキが、プラスチックでできていると聞かされた時の、六歳児の声が出た。
 兄は毒気を抜かれたような顔をして、はあ、と言った。
「夢があるなあ。そうか、お前くらいの年のもんは信じてるのか。それだけ、刹那様らがサンタを頑張ったってことかもな」
「え、いや――でも」
 子供の頃の記憶を探る。ぼんやりと思い当たった。
「見たことあるよ、俺は。自分の目で。神無様が、熊を――触れずに倒したところを」
「そういえば、あったな。そうだった。お前が見てたから、角度を調節したんだ」
「角度?」
「トナカイ業を手伝ってもらおうと思ったが、やっぱりいい。お前もまだ若いんだな。プレゼントをもらってろ」
「なん――信頼関係は!?」
 裏切られたような気になり、らしくもなく大声を出してしまった。
 どうどう、と兄が手のひらを突き出す。
「お前のことも白威のことも信じてるが、まだ若いってことを忘れてた。焦ってたんだな。――半世紀前は神無様もマトモだったし、お前たちは産まれてなかった。それを知ってるってことは、俺は老いてるんだ。それなら墓まで持ってこう」
「結局、子ども扱いかよ」
「若者扱いだ。お前にはまだ長い未来がある。裏方に回るのは晩年でいいんだ。桐生と一緒にサンタを信じてろ。悪かったな」
「何を謝るんだよ、あんたが」
「弱音を吐いたことだ。お前や白威に劇団をやってもらわなくても、女のひとりくらい、俺がだまくらかせばいい話だった。催眠術と薬と毒で、世界なんてどうにでもなるんだからな」
 兄の中では解決したらしい。食い下がったところで、意見を変える男ではない。
 ひとつだけ、聞くことにした。
「神無様、そんなに悪いの?」
「最悪だ。会話がまともに通じるのは、三日にいっぺんくらいだ。それももう、本当には通じてねえ気もするが。単語に反応して、それっぽいことを言うだけなのかもしれん」
「AIアシスタントみたいな?」
「そう、そんな感じだ。新しいことには対応できてねえ。記録簿にある言葉だけ喋る」
「そんなに――悪いんだ」
 神無が言葉を発するところなど、ほとんど見たことはない。ときおり神秘的なことを言うらしい。元より超常的だ。
 なるほど、と得心する。乱心の露見しにくいタイプだ。まして、側近がそれを隠しているのならば。
 無口な予言の巫女が、無口な予言の狂女になったところで、大勢には影響がないとも言える。
 兄は少し、少しだけ怒ったような顔をして、どこかを見ていた。
「壊れるなら一気に壊れてくれたら、諦めもつくってもんだろ。――まだ俺の神無様は、少し残ってるのかもしれん。それが結構、きついな」
「――医者に見せたほうがいいんじゃないの、そういうの」
「その医者にバレたらおしまいなんだ。AIアシスタントの人っぽさも嫌いそうだし」
「でも、冷酷って感じでもないだろ。温情措置してくれそうだけど」
「女はそのへんアテにならねえんだよ。感情で動くから」
 差別的なことを言うが、悪く言っているつもりはないのだろう。姉のいる男には、女性蔑視の価値観は育たない。
 西帝は少し考える。
 神無に対して思い入れなどはない。兄の恩師なのだろうが、現在その兄を煩わせているため、相殺だ。
「兄貴が読んでくれた絵本だかで、印象に残ってるフレーズがあるんだよな。――病めるときも、健やかなるときも、これを愛することを誓うか」
「結婚式で神父が言うやつだろ。どんな絵本だよ」
「そうなの? 結婚式とか行ったことないけど。じゃあ、テレビとかで見たのかな」
 ――病めるときと健やかなるときは別物だろう。
 西帝はそう思ったのだ。呪いを感じる文言だ、と。言質の取り方が乱暴だ。
「完全に壊れたとしても、あんたは見捨てないんだろ」
「そりゃな。産みの親みてえなもんだから」
「産みって。育ての親だろ」
「いや」
 さほど重要でもないことのように兄は言った。
「産んでもらったと思ってる。だから、できるとこまではやる」
 一瞬、そんなものかと思った。
 遅れて、ぞっとする。
「あんた、母親と寝てたの?」
「え? おお」
 驚いたような顔をしている。
「いや、そういう風に考えたことはねえな。俺はそもそも性欲を処理する道具だし、そこはまた別の話つうか」
「前から思ってたけど、あんたロリコンなの? それでマザコンって、こじらせすぎだろ」
「ボインが好きだわ。なんつうか、母親ってより、教祖かな。洗礼を受けた」
「ああ、ぽいね」
 ――母親とは神だ。
 それは先日、西帝が口にした言葉である。そのときも、そう、神無の話をしたのだった。
 回想しようとした西帝に気付かぬように、兄は「桐生はマザコンぽいけどな」と野卑な口調で言った。
「此紀様は教師っぽいし、ガキから見りゃ母親っぽいんだろうな。しかし、ありゃあエロいわ。見かけもエロいが、喋ってみると一層エロい。声がまたやらしい」
「何。やったの?」
「やらねえよ。騙しただけだ。こう、意志が強いのに声が心細そうで、ありゃたまらんな。胸揺らしながら歩いて、尻の位置が高いんだまた。なんであんなに脚を出してんだ? 誘ってんのかな」
「桐生の母親なんだろ。自重しろよ」
「あいつの母親なら、俺の妻だろ」
「……そりゃそうだ」
 父親と母親は、対なのだった。生物学的には。
 そういえば桐生は、このところ、兄――自分の父親に対して、反抗的な態度を取る。西帝から見ると、若さを加味しても行きすぎのように思うが、兄は受け流していた。
 あれはいわゆる、エディプスコンプレックスでもあるのだろうか。
 錠前は、此紀ではないのかもしれないが。
「兄貴、性欲強いよな」
「照れる」
「キショい。褒めてはいない。俺はたぶん、あんまりないんだよね、性欲が」
 だから、兄に対して不穏を感じないのかもしれない。
 姉には絶大なものを感じている。だが、それが兄への印象に影を落とすことはない。
 そう、桐生は――白威に対しても、嫌悪感のようなものを抱いている。神無に対してはどうなのだろうか。
「俺は親父を宿敵だと思ってるけど、桐生はあんたのこと、父親だと思ってるんだろうな」
「そら、父親だからな」
「あいつは、サンタクロースが嘘だと気付いたら、告発するかもよ」
 桐生は母と、そして父を軸にして、他者を憎みうる。
 兄は不可解そうな顔をしている。本当にわからないのだろう。自分にまつわるという理由で、息子が白威のことさえ憎みうるということを。
 なんとなく、三個目のまんじゅうを食った。
「これ、誰の土産なの」
「ヨーコちゃん」
「誰だよ。写真ある?」
「愛人じゃねえよ。ヨーコちゃん、わからんか? あのー、典雅様の従者で、けっこう美形の」
「遥候さんのことか。へえ、仲いいの? あっちはもうちょっと理想が高そうに見えたけど」
「どういう意味だ。そういうんじゃなくて、ヨーコちゃんが買ってきて、桐生がもらって、ここに置いてあったまんじゅうだ。桐生は包装だけ開けて、見て、食ってない。YOUは何しに俺の部屋へ?」
「蚊取り線香、持ってたら分けてよ」
「絶妙にあるかどうかわからんもんを指定してくるなあ。ちょっと待ってろ。押し入れにあった気もする」
 兄が腰を上げる。
 床に投げ捨てられている小さな機械が、赤いランプを点していた。
 ――録音のスイッチが入ってるんじゃないか。
 そう思ったが、押し入れを開けた兄にわざわざ伝えるのも面倒で、やめた。






EP集 トップへ戻る




スポンサーサイト