ゆるおに Knight
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Knight
「29 Knight」 
 

「麒麟児と俺『蛾』」  「麒麟児と俺『ヒートテックを知らない国のアリス』」  「Ever」  「あるいは青い石」  「そして赤い石」  「直訳にあらず」  「極右と極左」  「私のための苺」  「兄ではない男」  「Never」  「Trick」

「昼下がりの情事」






 此紀は甘い菓子を好むほうではないが、焼きたてだというクッキーを従者に出されれば、少しは手をつけなければいけないという気になる。
 無造作に口に入れてから、普段とは違う菓子だということに気付く。桐生の焼くクッキーは、卵と粉の素朴な味がする。今、口の中で軽く崩れた生地は、豊かなバターの香りがした。食感もさくさくと軽い。パイ生地よりもはかなく溶ける。
 美味いというよりも先に、よくできている、と思った。素人が作る菓子にしては、手の込んだ味がする。
 買ったものを温めたのかと思ったが、言葉遣いの堅い桐生は、それならば「焼いた」とは形容しないだろう。
 この可愛らしい顔をした従者に、此紀は気を遣っていた。俊才と言っていい若者だが、その分だけプライドが高い。女に機嫌を取らせることにも慣れていた。此紀には謙虚な態度で接するが、それも打算的なところがある。
 傲慢とも言える心根の強さは祖父に、慇懃なところは父親に似ていた。ほかに長所が多いために、短所は紛れているが、鼻持ちならないと感じる者もいよう。
 もっとも、年を考えれば、そのくらいの短所は許されるべきだろうが。
 しかし、その気位の高さばかりは、師としていささか持て余すこともあった。
「今日は寒いから」
 コーヒーで口の中を洗い、なるべく優しく聞こえるように言う。
「温かいお菓子が美味しいわね」
 菓子の素性には触れず、焼きたてを出したことを褒めた。
 桐生が安心したように表情を緩める。それは子犬のように無邪気な安堵ではない。完璧主義者の、そつなく振る舞えた自分自身への賞賛だ。自己陶酔の一種である。
 それは悪いことではない。
 此紀が疲れるというだけだ。
 微笑んだ桐生が、菓子の説明を始めた。
「ちょうど白威さん――父の弟弟子が、クッキーを焼いたところだったので、分けてもらいました。粉と油を工夫して、口溶けを良くしているとか」
 最初に言わなかったのは、此紀の反応を見るためだろうか。
 そんなことを考えてしまう時点で、この従者に気圧されているのだ。
 此紀が気を遣わなければいけない道理はない。しかし桐生は、育ちの良さのために、自身が尊重されることは当然だという空気を放っている。
 これを出されると、自らに少しでも負い目のある者は、もはや太刀打ちできない。沙羅、いや、東雲が同じような雰囲気を持っていた。この薄暗い山奥の屋敷で、なぜ太陽のような顔をできるのか、女の身にはわからない。その時点で負けている。
 熱いコーヒーを飲みながら、相槌を打った。
「白威って、あのちょっと薄幸そうな顔の? そういえば、ときどき厨房にいるわね」
 繊細で淡やかな、顔の通りの菓子だ。女性的とも言える。
 桐生の淹れるコーヒーは、香り高いが、ややえぐみを感じるときもある。それは桐生の個性に少し似ていた。
「あんた、今の参考書でわからないところない?」
「大丈夫です」
 その回答も、もう少し間を置いた方が可愛らしい。そんなことを叱りはしないが、本があれば師は要らない、と取れなくもない速度だ。
 桐生は理系だが、文系の学問もこなす。だが、抽象的な思考力は今ひとつで、英文の翻訳などにそれが現われた。単語を組み合わせた文章から、情景や彩りを読み取ることをしない。直訳調の文章になる。グーグル翻訳調とも言えた。
 桐生の伯母は、外見も言動も険しいが、洋書を美しい言葉に翻訳する。以前、書庫で居合わせたときに知った、意外な長所だ。
「午後は買い物に行きたいわ」
「お洋服ですか、ご本ですか」
「靴と化粧品を。ブーツを修理に出そうかと思ったけど、新しいのも見たいわ。たまには奇抜な色の靴を買ってもいいと思わない? 深緑なんか流行色じゃない。どうかしら」
 男にはどうでもいいような話題だろうが、桐生は軽く目を伏せて、「深緑は」と答えた。
「確か、万羽様がショートブーツをお持ちです。黒のニットワンピースに合わせていらして、学生のようで可愛らしく」
「あら、そう。じゃあ勝ち目はないわね。無難な色の靴を買いましょう」
 桐生のこうした、女の服装に目端が利くところは役に立つ。万羽と同じ色の靴など履きたくはない。比べられるからだ。
 買い物の品目を尋ねるのも、それに合わせた上着や靴を用意するためだろう。生徒と考えれば可愛げの不足するところもあるが、侍者としては優秀だ。
「あんたの買い物に寄ってもいいわよ。何か欲しいものがある?」
「いいえ、ありがとうございます」
「車は買わないの? ポルシェとか言ったらデコピンするけど、少しは援助するわよ」
「買ったほうがよろしいでしょうか」
「私はどうでもいいけど。若い男なら、車かバイクが欲しいんじゃない? このあたりでバイクは維持が大変でしょうけど」
 桐生は此紀の車を運転するが、自分の車は持っておらず、山を下りる時は父親のカローラを使う。父親のほうは神無の名義の車に乗っているため、それで問題はないようだが。
 従者が華美であるのもいただけないが、あまりに質素だと、此紀が冷遇しているかのようだ。このあたり、此紀も古い考えを引きずっている。
「私は今のままでも不自由はないのですが、そうですね、叔父には買ってやりたいかなと思っています」
「西帝は貯め込んでるんじゃないの? 弥風はケチでもないし、使う暇もたいしてないでしょ」
「そう見えて、計画性のない使い方をしています。貯金はほとんどないと言っていました。それは叔父が悪いにしても、世話になった分は返したいなと」
「それが車っていうのはどうなの? まだ十代の甥からなんて、素直に喜びにくいと思うけど」
「そのようなものでしょうか」
 だからあんたは可愛げがないのよと言いかけて、さすがにそれはやめた。
「そもそも孝行って、普通は叔父より先に、父親にするものじゃない? 斎観にはもう何か買ったの?」
「いえ、父には私を作った責任があっても、叔父にはありませんので、私は降ってわいた迷惑ということでしょう。その償いをしたいと思っています」
 責任と迷惑と償い。
 叔父が聞けば、どれも喜びはしないであろう言葉だ。
 恩と厚意と感謝、と言えないものだろうか。
 それらを抱いていない、というわけでもないように見える。言語感覚の惜しさだろう。
「あんた、子供の頃は本とか読んだ?」
「叔父の作ったラジコンを分解して、泣かせたりしていました」
「生粋の理系ね。皇ギは海外の絵本を持っていたと思うけど」
「読んでもらった記憶はありますが、内容はあまり覚えていません。叔父が私を叱る時、手描きの絵本で攻めてきたので、これはきついなあと思ったことなどは覚えているのですが」
「私立の小学校を受験する子供くらい、手をかけて育てられてるわね。あんたが子供の頃なんて、西帝だってまだ若かったでしょうに」
 一族の子供は、元服までの間、適当に育てられることが多い。放っておけば、家屋敷の誰かが躾けるという考えである。ほぼ地域猫だ。
 桐生の父や叔父は、一族の者を信用しなかったのかも知れない。
 腕を伸ばして、桐生の前髪のほつれを直してやった。大きな目をさらに丸くして、従者はきょとんとしている。
 かつて、幼い西帝に同じことをしてやろうとした時、此紀の手は避けられた。素早く交差させた両腕にはじかれたのだ。咄嗟に頭を守る仕草。
 西帝は早熟で、陰気ではあれど礼儀正しい子供だったため、その激しい反応には驚かされた。
 つまり、此紀はそれまで、西帝に手を伸ばしたことがなかったのだ。
 しかし、さすがに豪礼と桐生の間に入る血というべきか、西帝はそれから妙に図太い成長を見せた。今も陰気さは残っているが、心身は頑丈そうだ。
「あんたのところ、西帝だけがスポ根よね」
「そうですね。見かけによらず、自分のことにははっきりしています」
「自分のことには?」
「私を叱るときは、わざわざ絵本を描いてきたので、遠回しです」
 もちろん西帝のまめさも前提としてあろうが、桐生の性質を理解していたのだろう。子供の頃からこうだったのなら、叱り方が難しい部類だ。率直に言うとへそを曲げる。
 桐生は見かけより気が強く、西帝は見かけより心が強い。
 コーヒーの湯気が消えてきた。此紀の手は冷たく、包んでいる飲み物の温度をすぐに奪う。
「孝行をしたいという気持ちは、とても良いわね。それを持てる時点で、あんたの心は豊かだわ」
 その豊かさは、ひとりでは獲得できない部類のものだ。
 桐生は、年寄りの好む若者がそうするように、髪を伸ばしている。風呂に入ってから出てくる時間を考えると、そう手を入れているようにも思えないが、男にしては艶のある綺麗な髪だ。
 遺伝子配列が優れているのだろう。外堀が埋まっている。
 かしゃん、と小さな音がした。桐生の懐から、何かが落ちたらしい。
「失礼いたしました」
「――それは?」
 桐生が拾い上げたものは、小さな機械だった。メタリックカラーの、ポータブルタイプのラジオか。
「今時、ラジオ? 作ったの?」
 なぜか理系の男児というものは、ラジオを組み立てたいという欲求を持つことがある。桐生は分解するほうかもしれないが。
 桐生はラジオを懐に戻し、少し視線を落とした。その大きな黒目の奥に、何かの思惑が浮かんでいる。この従者はまだ若く、隠しごとは上手くはない。
「どうしたの?」
「いいえ、その。――おうかがいしたいことがございます」
「かなり下りないと、ラジオの電波は入らないわよ」
「そうではなく、すみません。その、此紀様は、なぜおみ足を出されているのですか?」
「足?」
 反射的に、自分の太ももに触れる。短いスカートから露出させた脚。一族の女の中で、もっとも長いという自負がある。皇ギは僅差かもしれないが。
 桐生は顔をそむけた。
「――申し訳ありません」
「いえ、出してるのは別に、たいした理由はないけど。なんか、布とかが纏わりつくのが好きじゃないのよ。それが何?」
「よこしまな目で見る輩がおります」
「そりゃ、いるでしょうよ」
 大学病院に勤めていた頃、『AVの女医』という陰口を叩かれていた。それを恥だとは思わない。
 桐生は傷ついたような表情を浮かべている。この顔をされると、放っておけないような気になるのだ。どんな女もそうだろう。
「何かあったの?」
「いいえ。此紀様」
 長いまつ毛を伏せ、顔をうつむけて、桐生は顔を隠すようにした。
「私は若輩ですが、男に生まれついたことには意味があると思っております。あなたをお守りいたします。――男のつく嘘から。男の下心からも」
「あら、それはどうも」
 騎士願望は、若い男に珍しいものではない。遠からず冷める熱病のようなものとはいえ、悪い気はしなかった。
 桐生はなぜか、またラジオを取り出した。
 その銀色の機械を、苦しむように見つめている。




 紅茶は見るからに熱く、澄んだ琥珀色の水面から、魔女の摘んだ花のごとき香りを立ちのぼらせていた。
 白いティーカップは、とても華奢な作りで、飲み口など薄くて割れそうだ。その繊細な口当たりが、また茶の味わいを上げるのだろう。
「おいしい……」
 ひと口含んで、思わずそうつぶやくと、白威は「よかった」とポットを布で覆いながら微笑んだ。
「この茶葉は、あなたのお好みかと思いましたもので」
「まあ」
 女言葉で感嘆を示してみた。
「私は茶に詳しくないが、とても丁寧に淹れてくれたことはわかる。……燻した花と、中国の果物のような香りがする。庶民離れした風味だ。王侯貴族がたしなみそうな」
「まさしく」
 少し驚いたように、白威は眼鏡の奥で目を見開いた。
「まさしく――中国の果実で香りをつけている、英国貴族の好んだ銘柄です。一杯の茶から、よくそれほどおわかりに」
「わかるも何も。単なる感想だ」
「感想にセンスが立ち現れます。斎観など、正露丸のにおいだの、湿布くさいだのと言っていました」
「正露丸のにおいというのは知らないが。確かに、好みは分かれそうな香りだ」
 白威は自分のティーカップ――沙羅に出したものより安価そうな――を持ち上げて、湯気を顔にあてるようにした。
「神無様も、この茶は好まれません。私は毎年買うのですが」
「そういえば、近頃あまり顔を見ないな。健壮か?」
 世間話のつもりだったが、白威は答えず、スプーンでカップの中をかき混ぜた。砂糖もミルクも入れず、混ぜるために混ぜている。
「――どこか悪いのか? 神無は」
「どうなのでしょうか」
 はぐらかしているようにも、困っているようにも聞こえた。そのレンズ越しの視線は、手元のティーカップの中に発生した、小さな渦を見つめている。
「私の目には、お元気そうに見えます。ですが、その」
「痴呆が始まったか?」
 白威は視線を落としたまま、「なぜ――」と漏らした。
「私の養父が、晩年はそうだった。仕方なかろう、神無ほどの齢ならば」
 年若い男は、黙ったまま、スプーンをソーサーに置いた。
 その姿がひどく悲しそうに見えて、沙羅は慰めの言葉を探す。
「その、なんだ。誰でも年を取るものだし、神無など、これまでよく持ったほうだろう。そう気を落とすな……と言っても、難しいとは思うが」
「私の名は、白い威力と書いて、白威なのですが」
「え? ああ」
 戸惑いつつも、相槌を打つ。
「強そうな名だな」
「そうです。マントの中には女があり、手に刃を持っている。騎士の字です」
 頭の中で思い浮かべたが、細部があいまいだ。
 一言断ってから、スマートフォンで文字を出した。
 威。
 確かに女を抱え、そして――手に刃か。
「なるほど。騎士の字か」
「父がそう言っていました。女を守るようにつけた名だと」
「お前の兄弟子の名も、意味は近しいな」
 白威は顔を上げた。色素の薄い瞳が沙羅を凝視する。値踏みするように。
「よく、そのようなことに、すぐ気付かれますね」
「斎皇女を観る者だろう。そのことだけを示す名だ。お前の名が符合していることは、いま知ったが」
「そうです。私もあれも、仕えるべき女性ありきの名」
 紅茶の湯気が薄くなってゆく。
「あの方は、神であり、巫女王であり、姫でした。いなくなったら、どうすればいいのか」
「何と言ったらいいのか、その」
 ――思い出は消えぬ。
 ――新しい師に仕えることも。
 ――まだ身体のほうは健康なのだろう。
 そのあたりの言葉を、口にしかけて、すべてやめた。
 どれも違う、ということは分かったからだ。
 沙羅は未熟だ。年下の友を慰めることもできない。
「ああ……いけない」
 白威が目を瞑り、眉間を押さえた。
「菓子を焼いていたのです。焦げたかな」
「え?」
 唐突である。戸惑ったが、話を変えたいのだろうと、沙羅は慣れぬ気遣いをした。
「それは大変だ。火を使っているのか」
「電気オーブンですので、もう止まっているとは思いますが。試作をして、出来が良かったので、改めて作り直して――焼きたてをお持ちしようと。どうしたことか、茶菓子を忘れて、茶だけを淹れてしまいました。いけないな」
 その、どことなく取り乱したような物の言いように、沙羅は少し心配になる。
「大丈夫か? 疲れてはいないか」
「疲れて――しまうので、少し、あの葉を」
「葉とは?」
「盗んだわけではありません。兄弟子ほど調節に慣れていないので、ああ、どうぞ茶を召し上がってください。冷めないうちに。おかしなものは入れておりません。神無様のことが――ああ、弥風様に知れたら」
 このところ親しくしていて気付いたことだが、白威はときどき、目の焦点が合っていないことがある。それは、視力の障害のためだと思っていたが。
 神無は薬物の愛好者だ。いつか、沙羅の師がそう言っていた。
「白威」
 優しげな顔に似合わず勇ましい、その名を呼ぶ。
「落ち着け。たとえ――ええと、神無に何かあったとしても、お前の足元が揺らぐわけではない。いや、お前はそう思うのだろうが、世界というものは、それほど脆くはない。不安であろうが、その」
 ためらう。
 勇気を出した。
「私も、お前を支えよう。これでも、権力がないというわけではない。お前が隠したいというのなら、神無の容態も誓って伏せよう。私の師は、隠蔽に長ける。そのすべも教わった。大丈夫だ」
 迷うような顔をした友を、強く見つめ返す。
「大丈夫だ。弥風にも、そう、刹那にも、何も言わせはしない。この沙羅が」
 ――刹那の子は。
 ――彼の友の成しごとで。
 ああ、と沙羅は祈るように思う。沙羅の師も、よほど未来視のようだ。それは予言などではなく、記録簿の改竄の暴露であるが。
 過去とは過ぎた時間であり、再改竄は不可能だ。もはや、未来の足枷となるばかりの。
 権力図は変わる。過去の遺物は、未来の麒麟児に劣る。
「大丈夫だ。白威」
 若き者に、そう言い聞かせる。自分自身にも。
 まだ熱い茶を啜ると、それは場違いに、やはり優雅で艶やかな香りがした。








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