ゆるおに ティールーム典雅

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ティールーム典雅
「03 ティールーム典雅」


 和泉が山に戻ったとき、歓迎してくれる者はふたりだけだ。
 そのうちの片方の部屋を訪れると、やはり笑って「おかえり」と言ってくれた。
「山道は雪が積もっていて、往生したろう」
「ええ。途中から歩きました」
「お疲れ様」
 こたつで背中を丸めたまま、ひらひらと袖を振る典雅に、紙袋の中から小包を取り出す。
「前に言っていた、マルコリーニのギモーヴです。あと、オランジェットと」
「ん。ありがとう」
 嬉しそうに笑う。それから懐を探り、携帯電話を取り出した。
「――もしもし。蘭子。ん、部屋までお茶を運んできて。みっつ。そう、お前の分も。いや、お茶だけでいいよ。うん」
 電話を切る。
「君も入りなさい。寒いだろう」
「失礼します」
 上着を脱いで、典雅の正面に座る。こたつ布団は洗濯したてらしく、ふわふわと手触りが良かった。
「こんな山の中でも電波が来るんですね」
「刹那がね。手配してたから」
「なんでもやりますね、あの方も」
「よく働くよねえ。私は働くくらいなら死ぬけど」
 そんなことを言いながら、和泉の手渡した包みをがさがさと開く。細やかで美しい洋菓子は、典雅の繊細げな指先に映える。
 広めの卓上には新聞や雑誌や、なぜかギターピックなどが散らばっていた。ここから動かずに生活しているのだろう。そのわりにゴミなどはひとつもないあたり、優雅さを愛するこの鬼らしい、と和泉は思う。
 部屋の隅のスピーカーからは、ごく低い音量で、クラシック音楽が流れている。かすかにたゆたう伽羅の薫り。
「その刹那さんは」
 音楽の邪魔をしないよう、そっと声を発する。
「お部屋にいらっしゃいませんでしたが、どちらへ?」
「さあ。逐一把握してるわけじゃないから。あの山道を越えてはいないと思うけど」
 屋敷のどこかで、せわしく働いているということだろう。
 しばらくあれこれと、他愛ない話を交わしていると、「失礼します」と可愛らしい声が掛かり、雪見障子が開いた。
 目元のきりっとした娘が、湯気の立つティーカップを載せたトレイを運んでくる。まず典雅、それから和泉に配して、自分の分を脇に置いた。それからミルクポットとシュガーポットを典雅に寄せる。一式併せて、ウェッジウッドのワイルドストロベリーだ。
 障子を閉めに戻ってから、「お久しぶりです」と冷たい声で言い、こたつに入ってきた。和泉の方を見ることはない。
 この刹那の孫娘は、ほとんどの若い鬼たちと同じように、和泉を蔑視している。祖父と師の手前、それなりの態度は取るが。
 今さらどうとも思わない。これが普通だ。
 典雅は自分のティーカップにミルクと砂糖を入れると、和泉と従者のカップにも同じように入れ、順番にスプーンでかき混ぜた。
 昔から典雅は、勝手に同席者の紅茶の味を調える。この変わらない仕草が、和泉をほっとさせた。
「和泉が買って来てくれたから」
 と言いながら典雅は、懐紙に数個のチョコレート菓子を載せて、それぞれの前に配った。
 典雅の従者、蘭香は、「和泉が」の部分で、すでに嫌そうな顔を見せた。
「……せっかくですけれど私、チョコレートは」
「まあ食べてみなさい。美味しいから」
 典雅に勧められると断れないようで、蘭香は渋い顔をしながら、オレンジの皮の砂糖漬けをチョコレートでコーティングした、小さな菓子を口に運んだ。
 口に入れた瞬間、その顔がふわっとほどける。
「……美味しいですね」
「ん」
 典雅が笑う。
「こんな山奥じゃ、なかなか手に入らないからねえ。こんなところまでは宅配便も来ないから、通販で買うのも手間が掛かるし。嬉しいよ」
 典雅がひとりで食うものだと思っていたため、持参した菓子は少ない。
 それを格下の者と、三人で分けようというあたりが、典雅という鬼だ。若い鬼に慕われているらしいが、まあ、そうだろうと思う。
 典雅は快楽主義者だ。典雅は権力争いのようなものに興味を示さない。典雅は洋菓子が好きだ。典雅はわりと頻繁に外出する。典雅は誰にでもおおむね、平等に接した。典雅は父親や師の墓を、よく見に行くらしい。
 要は、自分の世界に生きているのだろう。
 うまく幹部連中と付き合い、誰とも敵対せず、誰とも蜜月にならず、ひとりで気楽に過ごしている。和泉にはそう見える。
 器用な鬼だと、昔から思う。
「朝露にも持って行ってやろう」
 と、少なくなった菓子を、さらに包もうとするので、和泉は自分の分を差し出した。
「どうぞ。僕はまた手に入れられるので」
「悪いね。ありがとう」
「色舞さんには?」
「あの子は甘い物を食べつけないから。酒飲みなんだよね」
 子供をこれだけ猫可愛がりする鬼も珍しい。こさえて食わせて、元服したらもう知らん、という者が大半だ。和泉の父もそうだった。
 父親がこれだけ優雅で甘ければ、屋敷に閉じ篭もっていても楽しかろうな、と思う。
「君は最近どう? 町暮らしは楽しい?」
「ええ、まあ。あ、今度、結婚することになりました」
 蘭香が目を丸くして、はじめて和泉を見た。典雅も珍しく驚いたような顔をする。
「君が?」
「ええ。大学の教授と」
「女?」
「男です。少し面白い人なので」
「ふうん。克己の影響?」
「まあ、そうかも知れません」
「式は挙げるの?」
「判りませんが、向こうは挙げたいみたいです」
「挙げるなら呼んでよ。中学高校時代の思い出をスピーチしてあげるから」
「はあ」
 典雅は克己の結婚式にも出席して、大学時代の友人として振舞ったのだそうだ。
 そういうことが好きそうではある。
 克己のとき、重鎮たちはいい顔をしなかったが、典雅だけは祝福した。
「もう長老にはご報告差し上げた?」
「いえ、まだです。年末の大宴で言おうかな、と」
「それがいいだろうね。一番機嫌のいい時に言うといい。……蘭子、お前もしばらく口外しないように」
 承知いたしました、と蘭香が頷く。それから典雅のティーカップを見て、腰を上げた。
「新しいお茶をお持ちいたします」
「そうだね。頼もう」
 トレイに3人分のカップを載せて、蘭香は部屋を出て行った。
 障子が閉じてから、典雅は笑う。
「悪いね、愛想のない娘で」
「いえ」
 和泉に対する反応としては柔らかい方だ。
 典雅はこたつから這い出ると、押し入れを開いてごそごそやり、古びたクラシックギターを引っ張り出した。袖でばさばさと埃を払う。
「式の余興で弾いてあげよう」
 そう言って卓上のピックを探り、軽く爪弾きはじめた。
「ガットギターって、素手で弾くんじゃなかったですか」
「別にいいだろう。爪を傷めたくないんだよ。……そういえば君もギターを持ってたね」
「まあ、こっちの部屋に置いてはいます。もう久しく触ってないですけど」
「音楽が好きか?」
「そうですね」
「君がなにかを楽しいと思う瞬間があるならよかった。音楽でも。男でも。君にはあんまり辛気くさい顔は似合わないから」
「……はあ」
「刹那や此紀は、ぷりぷり怒ってるくらいが似合ってるけどね。君は顔立ちが華やかだから、どうも陰が映えない」
「それは、どうも」
 典雅はにっこりと笑うと、和泉の知らない曲を弾きはじめた。
 美しい曲だ。
「相変わらず、笑わないねえ」
「え?」
「昔から君は、刹那の前でだけ笑うね。笑ったほうがかわいいのに」
「……ん、」
 確かにこの屋敷では、和泉の顔は強張る。
 楽しいことは何もないからだ。どうせ色々な物をぶつけられるのなら、じっと固くなっていた方が楽だった。
 久しく、辛いと思ったことはない。これで慣れている。
「車からここまで、どのくらい歩いた?」
「20分くらいです」
「結構あるね。車が凍るんじゃない?」
「いや、時月が街まで戻しましたので。帰りは迎えに来ることになっています」
「あの子は元気?」
「そうですね。まあ」
「あの子は暗い顔が似合うよね。いじめてやりたくなる」
「……まあ、そうですね」
「あの子は君に懐いてていいなあ。君はもうちょっと私に懐くかと思ったけど、目論見が外れた」
「……はあ」
 充分、懐いているつもりではあるが。
 典雅はゆったりとした曲を爪弾きながら、少し遠くを見るような目をした。
「どれだけ餌をやっても、すり込みの親鳥には勝てないねえ」
「……へえ」
 餌をやっているつもりだった、ということに驚いた。
 和泉に構うのが楽しくてやっているものだ、とばかり思っていたからだ。
 典雅は昔から、あれこれと和泉に優しくした。正直に言うと、それを迷惑だと思ったこともある。お前のような汚らわしい者が、なぜ典雅様の親切を受けるのだと、あとでより酷く当たられることが多かったからだ。
 典雅も当然、そんなことは知っていた。
 それでも和泉に優しく接した。
 つまり、和泉のためでも何でもなく――ただそうしたかったから、そうしたのだろう。
 昔からそういう鬼だった。
 和泉はそう思っていた。
「ふふふふ」
 和泉の顔色を読んだらしく、美男子の鬼は笑う。
「餌のやり方を間違えたか」
「いえ、そうではなくて……」
 周囲のあたりを気にして、刹那のように、陰でそっと構ってくれたとしても。
 典雅に対する心証は、さほど変わらなかったと思う。
「感謝してますし、好きですよ」
「ふうん。でも刹那の方が好きなんだ」
「いや、そういうのもどうかなあ……」
 順位付けるものでもないように思う。
 どちらにも感謝している。機会があれば訪ねたいと思う。どちらが好きかと考えてみても、別に同じくらいだと思う。
 それでも確かに、刹那の部屋に漂う香りの方が、典雅の香よりも気分が安らぐ、とは思っている。
 典雅の前では――緊張する。
 刹那の方が、ずっと高位の鬼にあたるのだが。
「蘭香はあなたに懐いてますよね。ずいぶん」
「ん? ふふふ。まあね」
「うまく餌をやっているんですか」
「若いからね。ちょっと可愛がると、嬉しそうにする。かわいいよ。……豪礼にはもう会った?」
「え、いえ、留守だと思っていたので。いらっしゃるんですか?」
「さあ? 部屋に居ないなら、またどこかでぶらぶらしてるんだろう」
 和泉の師は、一応は屋敷に住んでいることになっているが、あまり居つかない。あちらこちら放浪していた。
 和泉の父と親しいのも判る。
「今日は泊まっていくの?」
「いえ、帰ります」
 典雅と刹那の顔を見に来ただけだ。長居しても良いことはない。
「まあ、また来なさい」
「はい」
「君は話がさくさく通じるから、いないと少し寂しい」
 嘘だろうが、そう言ってくれるということが胸を暖かくする。
 その意図も、なにも、どうでもいい。
 和泉はまたこの部屋を訪れるだろう。典雅の好きな、洒落た洋菓子を持って。彼のかき混ぜてくれる紅茶を飲むために。
 華奢なスプーンで、砂糖ではなく、毒を混ぜられたとしても。
 それはそれでいいと、和泉は思っている。





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