ゆるおに 純喫茶 此紀

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純喫茶 此紀
「04 純喫茶 此紀」


 此紀の部屋は広い。
 死んだ師の部屋を、そのまま譲り受けたためである。さらにその隣室も、葬儀の間のどさくさで確保した。
 そうして間仕切りを取り払い、がらんと広い空間にしたのだった。
 床の間には掛け軸、その傍らに花瓶。いつでも生花を飾っている。畳は毎年、大晦日に替え、障子紙も常にぴんと張っていた。
 桐の箪笥に、座卓、座椅子。壁際に本棚。調度はあまり多くはない。
 此紀は静かな世界を愛するからだ。清掃の行き届いた、しんとした広い空間。涼やかな重みのある空気。日がな吸っている煙草の臭いは念入りに消され、ほのかな薄荷の香りに混じり、うす苦い味わいとなっている。
 部屋は心のありようを映す。
 これほど心地の良い、澄んだ空気の部屋に住まうのは、この屋敷で此紀だけだ。

 数十年前から――
 此紀はいつも、泥のように濃いブラックコーヒーを飲むが、刹那に出されるのは果物の香りの茶だ。玄妙な香草の味が見え隠れするので、薬か毒か、と以前は警戒したが、おそらく市販のハーブティーである。
 出される理由は知らない。こうした茶が好きだと言ったこともない。こんな女子供の飲むような甘酸っぱい茶を、なぜ俺に、とずっと思っているが、確かに芳香豊かであるため、黙って啜っている。
 あるいはすべての客にこれを出しているのか、と思ったが、白鷺を連れてきたときは、紅茶を出していた。刹那にはいつも通りのハーブティー。自分にコーヒー。わざわざ一杯ずつ、違う種類の飲み物を、従者に命じて淹れさせていた。
 繰り返すが、刹那は別に、こうした茶を好きだと言ったことはない。別に嫌いでもないが、そもそも此紀の部屋以外では、口をつける機会もなかった。白鷺が特別に紅茶を好むという嗜好も聞いたことはない。
 万羽が訪れたときは、刹那と同じハーブティーを出していた。
 謎の基準だ。一度、典雅に話をしてみたところ、笑いながら「知らないな。私にはいつも紅茶が出るね。客に合わせてカップを選んでくれる喫茶店みたいなものじゃないか」と言っていた。
 そう考えるとまあ、まんざらでもないような気はした。典雅に「気になるなら聞けばいいじゃないか」とも笑われたが、部屋を訪れておいて、供されたものに口を出すのは下品だ。刹那はそう思っている。
「それで」
 コーヒーを啜りながら、此紀はぱらぱらと書類の束を捲った。
「部屋割りの件はこれでいいとして。麓の村長がどうこう言ってきたって話は、どうなったのよ」
「ああ。コンビニの裏が、少し前から整地されていただろう。あそこにスーパー銭湯だか、なんだか、大きな施設を建てたいんだそうだ」
「建てりゃいいじゃない」
「ええと、特色のある風呂を入れて、大々的に宣伝を打つから、観光客の流入が想定されるそうだ。そのあたりを承知しておいてくれ、と」
「観光客には手を出すなってことね。しかしまあ、流行りの村おこしはいいけど、限界集落みたいなあの村が、何を急に色気を出してるのよ」
「それは知らんが。限界集落だからこそじゃないのか」
「まあね。あたしたちのせいで神隠しの土地やらなんやら、物騒な噂が立って、より過疎化したわけでもあるし。いいんじゃない」
「ああ。それと、その件とは別に、村長に少し包もうかと思うんだが。長老や弥風は反対するだろうから、まあ内密に」
「いいんじゃない。この前も世話になったんだし、束くらい出しても」
「そんなにか。十枚も包めばいいと思っていたが」
「あそこんちは土地持ちの金持ちなんだから、はした金やったって、たいして意味ないわよ。そのくらいの金なら出せるでしょ? 都会の竹林つぶしてアパート建てたんだから」
「な、なぜ知っている」
「あたしが駐車場にしようと思って見に行ったら、建ってたのよ。あんたしかいないでしょ。まああんたの名義の土地だし、いいけどね」
 此紀はそう言って、最後の一口のコーヒーを啜った。
 それでなんとなく、一区切りの雰囲気となる。刹那もガラスのカップに半分ほど残っていたハーブティーを飲み干した。
「ん。新しいのを淹れさせるわ」
 もう帰るから、と遠慮しようかと思ったが、他にも相談しておきたい案件を抱えている。頼むことにした。
 此紀が携帯電話を取り出し、若い娘のような、目にも止まらぬ指さばきでメールを打つ。従者への指示方法が近代的だ。刹那は未だ、自分の部屋の隣に白鷺を控えさせ、手を打って呼んでいる。
 携帯電話のフリップを閉じた此紀に尋ねる。
「メールだと、遅配になることがあるだろう。大丈夫なのか」
「あんまりそういうことはないけど。まあ、しばらく来なきゃ電話すればいいし。そういえば、あんたはスマートフォンよね。使い勝手はどう?」
「悪くない。使いこなしているわけでもないが、スケジュール管理は楽になったな」
「近々、あたしも移行しようかと思ってはいるんだけど」
「どうせならもう少し待ったほうが、電源周りが改善されると思うが」
「ふうん。……最近、新しいものを買うのに、腰が重いのよね。どうせそろそろ死ぬんだから、と思うと」
「百五十歳症候群だな」
「なによそれ」
「俺が勝手に考えた。百五十や、そこらの年になると、死に支度を考える者が多いだろう。俺はお前と反対で、もうじき死ぬからこそ、いろいろ手を出しておきたいが」
「最近、体調は? 肺の方はどうなの」
「お前の薬のおかげで、だいぶ呼吸は楽になったな。飲み忘れるとあきらかに苦しくなるから、あの薬はすごいなあ、とよく思う」
「それはよかった。……悪い薬のほうは続けてるの?」
「老い先短い年寄りの楽しみだ。多少は許容してくれ」
「別にいいけど、そのせいであんたの腎臓やら何やらがダメージ受けてることは覚えておきなさいよ。あと、若い連中に流すのはやめてちょうだい。馬鹿は何も考えずに持ち出しちゃうんだから、所持でパクられるわよ」
「そのあたりはきつく言ってあるんだが」
「きつく言ったところで、どれだけ効果があると思ってるのよ。んもう」
「そう苛々するな。別に俺のことは気にしないで、煙草を吸ってもいいぞ」
「いいわよ。肺病病みの前で吸ったら、こっちの胃に悪いわ」
 座卓に放り出していた煙草の箱を、長い指でとんとんと叩いて、此紀は少し憂鬱そうな顔をした。
 折よく「失礼いたします」と障子の外から声が掛かる。
 此紀の従者、桐生が、ふたつのカップを載せた、モダンなプラスティックのトレイを持って入ってきた。丁寧な所作で座卓の脇に膝をつき、主と客の前に飲み物を配する。空になっているカップを手早く下げて、「失礼いたしました」と一礼して去った。障子を閉める音が、開けた時と同様に静かだ。
 いつも思うが、大変に躾がいい。まだ十代で、粗野の血筋に生まれついたわりに、驚異的に礼儀作法が身についている。
 此紀はこれまで、もっとも多くの従者を取ってきた師であり、もっともその教育に評価のある女でもある。我が子を預けるならば此紀に、と希望する者は多い。
 新しい茶の香りを楽しみながら、これまで何度となく聞いたことを、もう一度尋ねる。
「お前、子供は作らないのか」
「そのために何百回も女を抱くのが、まず面倒よ」
「産ませてみると可愛いぞ」
「そうでしょうね。最近になってようやく産ませた万羽もそう言ってるし。あれはもともと、赤ん坊やら子供やらが好きだったからっていうのもあるでしょうけど」
「そうだな――ああ、そういえば、その話だ。万羽の子供の話。元服が近いから、少しお前と話しておきたかった」
 カップに口をつける。先程までの茶とは違う、赤い果実の香り。くっと来るような酸味があり、そのあとでほのかに甘い。女子供の好きそうな味だ、とやはり思うが、喉が渇いていたこともあり、美味かった。
 この部屋に来ると、いつも何杯も茶を飲むことになる。話が弾んでしまうからだ。此紀の方はおそらく、弥風や祝詞のこと絡みで、刹那を好いてはいまいが。煙草も我慢せねばならんし、早く出て行け、と思われていることだろう。
 しかし、この部屋は居心地が良いのだ。屋敷の運営事務を相談できる、ほぼ唯一の幹部仲間であることと相まって、つい腰が重くなってしまう。
 此紀は自分も新しいコーヒーを飲みながら、話を促した。
「あの鳶が産んだ子鷹がどうしたのよ。誰にも師事したくないとかゴネてるなら、まあ別にいいんじゃないの? 父親もじいさんも強いんだし」
「いや、万羽の従者に師事したいと言っている」
「あー」
 それは面倒臭いわ、と言って、苦そうな顔をする。
「東埜が板挟みね」
「万羽の従者か? よく名前がすっと出るな」
「あたしもあの男は欲しかったのよ。万羽が右近から横取りした時は、そんなんありかい、って関西弁出たわ」
「お前と右近と万羽に、その子供で取り合いか。いやに人気があるな」
「知らないの? あの男、典雅の次くらいにモテてるわよ。……まあそんなことはいいけど、万羽はそのことについて、なんて言ってるの」
「というか、その、東埜か。それが根を上げている。ただでさえ万羽で手が掛かる上、自分の子供もいるのに、これ以上は抱え込めないと」
「でしょうね。主の子供を従えるって、けっこうな気苦労でしょうし。あたしから万羽に言っておくわ、子供なんとかしろって」
「助かる。万羽は昔から、お前の言うことは聞くから」
「あたしも別に、好きで飼育係やってるわけじゃないんだけど」
 そう言いつつ、さほど嫌そうでもない。
 年も格も近い此紀と万羽は、昔から親しい。いかにも合いそうにないように見えるが、それがかえって良いのかも知れない。友というよりは、姉と妹、保護者と子供、という様相だったが。
 万羽は天真爛漫な性質であるが、弥風の血か、機嫌を損ねると深く長い。誰が何を言っても、「ぷんだ」と口で言いながら拗ねる。それで済むうちは笑い話だが、変にこじらせると、物に当たった。万羽が本気で蹴りを繰り出すと、柱は折れ、壁は抜ける。父親と違い、他者を傷つけるということはなかったが、厄介であるには違いなかった。屋敷が倒壊すれば、その瞬間に、弥風を超える同胞殺しである。
 そうした時、弥風は「知らん。ほっとけ」と部屋に篭もる。万羽の子供や従者もおろおろとするばかりで、役に立たない。
 かつては宣水が尻を叩くと、ぶすくれながら大人しくなったが、その元師は山を出た。
 今では此紀だけが、暴れる野獣を手懐ける。「あんたいい加減にしなさいよ」と、いつもの調子で一言言うと、それで万羽はしゅんとした。
「この頃ますます、お前には従順だな。できているのか」
 昔からそうした噂がある。刹那は話半分で捉えているが。
 此紀は不機嫌そうに目を細めた。
「やめてよ。あんたこそ弥風とできてんじゃないの」
「やめろ」
 昔からそうした噂をされる。背筋がぞくぞくと震えるほど不愉快だった。
 ふんと鼻を鳴らしてから、此紀は呟いた。
「……万羽は弥風のことであたしに負い目があるのよ。アホだけど、そういう気は回す方だから。あたしは別に、万羽に対しては何も遺恨はないけど」
「まあ、そのあたりはなんとなく判っていたが。祝詞の話になると、万羽はソワソワするし」
「じゃあカマかけないでよ、いやな男ね。女にモテないわよ」
「お前は女にもモテそうだ」
「ほっといてちょうだい。……そういえば東埜の子供って、万羽の子供と同じくらいの年でしょ。そっちはどうするの、師事先」
「ああ、その話もしようと思っていたんだが。どうも右近を希望しているそうだ」
「あら。東埜が? 子供自身が?」
「子供自身が。父親の方も、そうさせたいと言っていた」
「じゃあ、いいんじゃないの。右近も新しいのが入れば、従者取られたムカつきが軽減するでしょうし。面倒見は悪くないから、元服したばっかりの子供が行くには、まあいいところなんじゃない?」
「昔はそうだったが、今はどうだか。それが気になっている」
 右近はかつて、地味な身なりと、落ち着いた暮らしを好む鬼だった。幹部会に無関心であったのは変わりないが、部屋で本など読んで過ごし、子供や従者の面倒をよく見ていた。また部屋が近く、気鬱の強い甘蜜を気にかけ、宥めたり、書や編み物を教えたりと、あれこれと相手をしていた。これに関しては今でも、たびたびそうする姿を見かけるが。
 生まれ持った絶大な才気のために、かねてより弥風に疎まれてはいたが。
 その火種が、憎悪となって爆発したのは、およそ十年前である。
 右近はある日突然、緑なしていた黒髪を冗談のような紺碧に染め、くるくると巻き、小さな王冠を載せて現れた。それまで好んで着ていた、仕立ての良い上品なスーツは、人形のような――と言えば風雅であるが、現実離れした極彩色の、フリルとレースで膨らんだドレスに変わっていた。元の顔が思い出せなくなるほどの濃い化粧。虹色の爪。
 そうした奇抜な装いをひどく嫌う弥風は、怒りのあまり、一日倒れた。先だって髪を金色に染め、刺青まで入れてきた、右近の子供への怒りなどは、その一瞬で塗り潰されたに違いない。金より青、隠れている刺青よりも、見えている王冠だ。
 溜め息を吐く。
「右近は、書く文字まで阿呆の娘のようになっただろう。丸文字とも違う、あの、何と言うのか、変な癖のある」
「直筆は知らないけど、メールはギャル文字で来るわね。『ゐヵゝ世〃£ヽヵゝ⊃<』だけ読めるようになったわ」
「あいつは達筆だったから、いつも筆耕を頼んでいたんだが。今ではもう、おかしな文字に馴染んでしまって、楷書も草書も無理になったそうだ。困る」
「ものすごい馬鹿ね」
「ああ。俺なら、今のあいつに子供を預けたくはないな」
「でも親子ともどもの希望なんでしょ。東埜は右近の従者だったわけだし。好きにさせたら?」
「まあ元々、俺が口を出すことでもないから、そうするつもりだが。しかしなあ」
「よそのこと気にするより、フラフラしてるあんたの孫をどうにかしなさいよ。松本ならあたしが預かってもいいわよ」
「そのあたりは孫の自主性に任せていてだな」
「自主性に任せた結果、フラフラしてるわけでしょうが。あんたみたいな甘っちょろいだけの無責任な保護者がニートを作るのよ」
「返す言葉もない」
 耳と頭の痛い話だった。蘭香が濃く刹那の性質を継いだぶん、バランスを取るために双子の方は道楽者になったのではないか、と思うほど育ち方が違う。それぞれ、父親に似たのだろうが。その父親たちを育てたのは刹那である。
「美園のことはもう少し厳しく育てるべきだった」
「いえ、それは論うべきことじゃないでしょ。その美園が死んだあと、あんたが、孫を甘やかしてるのが問題よ」
 再度、ぐうの音も出ない。
 此紀はまた、とんとんと煙草の箱を叩いた。
「だから早く松本をあたしに寄越しなさいよ。馬鹿でも見かけは悪くないんだから、可愛がるわよ」
「俺もまあ、どうせならお前に預かってもらえると、気が楽になるんだが。あいつの意思がなあ」
「そこが甘いのよ。首に縄つけて引っ張って来なさい。……あんたのところの、あの男みたいな従者に、熱を上げてるとかなんとか聞いたけど」
「ああ。そうらしいな。白鷺の方は歯牙にもかけていないが。さっきのあの、ええと、お前の従者」
「桐生よ」
「そう、その桐生に夢中だ。少し前までは叔父の方に秋波を飛ばしていたが、本物の美少年の方がいいらしい」
「なんか色々うまく行かないわね」
「そうだな」
「あ、そうだ、お菓子あるのよ。食べる? きのう斎観がクッキー焼いて持ってきたんだけど、結構美味しかったわよ」
「脈絡なくいそいそと菓子を勧めてくるのはババアっぽいぞ」
「あんたの茶ぁ飲むペースが早いから、気を使ってやってるんでしょうが」
 そう言いつつ、座卓の下から紙袋を取り出している。菓子の置き場所も婆臭かった。
 ティッシュペーパーを敷いて、その上にざらざらとクッキーを出す。
「早く食べないと湿気るのよ。桐生もよくクッキーだのケーキだの焼いてるけど、あたしは甘いものってそこまで食べないから」
「菓子なんぞ買えばいい気がするが」
「ごちゃごちゃ言うてないで、食べなさいよ」
 言われた通り、その素朴なきつね色の焼き菓子を食う。さくさくと口の中で溶け、粉とバターの香りがした。
「美味いな」
「そうでしょ。ちょっと包んであげるから、持って行きなさいよ」
「菓子を勧めてからのすべての行動がババアだぞ」
「うるさいわね。あんただって最近、相当ジジイよ。朝早く起きて、昼は縁側でネコ撫でて。加齢臭するわよ」
「放っておけ」
「セックスでもする?」
「いや今日はそういう気分じゃ、え?」
 普通に返事をするところだった。
 此紀は「うふふっ」と少女のように笑った。
「冗談よ。でも、しないと老けるわよ。あんたどうせ、若くて可愛い処女じゃなきゃイヤとかなんとか選り好みして、ご無沙汰なんでしょ。揉んであげましょうか」
「遠慮しておく」
「即答されると面白くないわね。なによ。あたしの何が不満なのよ」
「絡むな。俺は繊細な美少年だから、お前みたいなベテランの女は怖いんだ。取って食われそうで」
「なによそれ」
 長い腕を伸ばして、刹那の額を弾いてきた。
「痛たあッ」
「あんたはデコが綺麗だから、デコピンの打ち甲斐があるわ」
「痛いッ! 二発目を打つな!」
「あら。赤くなっちゃった」
 刹那の額を打った、しなやかな指で、宙にくるりと印を結んだ。癒しの術。克己や神無のそれに比べると、ごく軽微なものだが、扱えるだけで大したものだ。才と鍛錬の結果、はじめて、この術は実を結ぶ。
 此紀は気難しい性質であり、弥風に牙を剥く立場のせいで、あまり味方も多くはないが。
 おそらく、此紀を嫌う者はない。たとえばそれこそ、弥風もだ。あれは、この執念深い女鬼について、多くを語らないが、そのことが心証を示している。あの暴君は、気に入らないものについては饒舌だ。
 此紀はかつて、十年近く、人里に暮らした。淀んだ空気にぜえぜえと喘ぎ、人間の狭間で不快を押し殺しながら、医療と経営を学んできたのだった。誰に頼まれたわけでもなく、衰退しつつある一族の、ただその復興と維持のために。
 弥風がそうであるように、此紀もまた、一族のありようを左右する鬼だ。此紀ひとりで、一族の平均寿命を十年は延ばしている。弥風が百年縮めているが。
「此紀」
「はあい?」
「お前は可愛い女だ」
「あら」
「お前がもう少し清楚げで、もう少し華奢で、もう少し控えめで、あとだいぶ若ければなあ」
「誰よそれは」
「また茶を飲みに来てもいいか」
「ちょくちょく来てるじゃない。なによ急に。死亡フラグっぽいわよ」
 また額を弾いてきた。今度は痛くはない。優しく、つんと突くような仕草だった。
「母ちゃんかお前は」
「従者によく言われるわ、母親っぽいって。母親なんてもの知らないくせにね。だいたい、せめて姉ちゃんって言ってよ」
「典雅に言ってもらえ、ばあさん」
「腹の立つじいさんね。あんたよりは若いわよ」
 そう言って、「ふふっ」と微笑んだ。普段厳しい顔をしている分、たまに笑うと可愛らしい。
 ここは居心地がいい。清掃の行き届いた部屋。丁寧に手入れされた調度。留守の時に訪れても、そう思うのだろうが。
 この女が居た方がいい。此紀から発される、すっとした香りの、さらりと涼やかな空気が、この部屋を完成させている。暖めると優しく匂った。
「おい。もう一度誘ってくれ」
「え? なに?」
「いや。茶をもう一杯いいか」
「はいはい。以降は一杯につき九百円になるけど」
「お前がいる店で、その値段で飲めるなら安い」
「チャージは別に徴収するわよ」
「美少年割り引きはあるか?」
「ここは大人の店よ。少年は立ち入り禁止。保護者の方に連絡させてもらうわね」
「両親は死んだ。折り合いの悪い親戚と暮らしているから、連絡しないでくれ。不祥事を起こしたら、どんな目に遭わされるか判らないんだ。頼む」
「そうね。なかなかの美少年だし、うちの店で働い、面倒臭い」
 小芝居に飽きたらしく、投げやりに終えてあくびをした。携帯電話を取り出して、またメールを打っている。また刹那の茶を注文しているのだろう。しばらく待てば、あの果物の香りがする、意図の知れないハーブティーが出てくるのだ。
 それはなにか、とても贅沢なことだ。
 そんなことを考えながら、カップにわずか残っている茶を啜った。





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