ゆるおに 鬼化粧 2
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鬼化粧 2
「07 鬼化粧 2」


「私には、女の化粧のことはわからないけど――」
 その前置きは謙遜だ。あるいは、これから苦言を呈するが怒らずに聞いてくれ、という揉み手だ。
 この弟弟子は、女の身支度について、必要以上に詳しいはずである。
 だから此紀は、こたつの中で典雅の足を蹴った。二度蹴っておく。
「痛いな。まだ何も言ってないだろ」
「これから言うんでしょ」
「別に悪い内容じゃないよ。君は少し化粧が厚いんじゃないか」
 もう一度蹴る。
「痛いって」
「巨大な世話よ」
「君は素顔のほうが可愛いと言ってるんだよ」
「絶大な世話よ。あたしはあんたの取り巻きと違って、あんたのために化粧してるわけじゃないんだから」
「私の好みを差し引いても、その目張り」
「アイライン」
「そう言うんだったね。君はもともと目尻が吊ってるのに、なんでさらに跳ね上げて描くんだ。確かに一時期そんなのが流行っていたようだけど、もう流行は終わっただろう」
「目尻を下げると媚びて見えるのよ。放っておいて頂戴」
「うちの従者なんかは、もっと薄いけど小奇麗にまとめてるよ。君もそこまで塗らなくていいと思うが」
「あんたは元から整ってる女を選んでるんでしょうが」
「君だって整ってる」
「あんたに褒められても一文の得にもならないわよ。あたしは体型が派手だから、顔も派手にしておかないとアンバランスになるのよ」
 長身で凹凸のはっきりした体型の此紀は、道を歩くだけでも衆目を集める。
 惹いた視線の期待を裏切らないというのは、女の義務である。此紀はそう思っていた。
 この、生まれついて完璧な容姿を持つ、一族でも頭の抜けた美男子には、そうした女心などは判るまい。
「万羽なんかはいいんでしょうけどね。顔も体型も人形みたいで」
「まあ、君はもう少し胸が小さい方がいいよな。チャイナドレスなんかが似合いそうだ。万羽だと駄目だね。あの顔はアジアの民族衣装とは喧嘩する」
「言っておくけど、女から見るとあの子のほうが化粧が下手よ。あれだけまつ毛が長くて濃いんだから、伸ばすとしつこくなるのよね。透明なマスカラで上げるだけにしときゃいいのに。チークはもう少し濃くてもいいわ。あの子、CG加工したみたいな顔してるから、輪郭線に抑揚がないと生気が薄く見えるのよ」
「君の方がよっぽど駄目出ししてるじゃないか」
「万羽には言わないわよ。聴こえないところで陰口を叩くのはいいのよ」
 弟弟子は肩をすくめて壁を見た。つられて此紀もそちらを見るが、何もない。隣の部屋とを隔てるだけの薄い壁だ。
 この部屋には鏡がない。手鏡くらいは探せば出てくるのだろうが、姿見を置いていないというのが此紀には信じられなかった。男といえど身嗜みがあろう。
 この男の髪を結い、着替えをさせ、服の埃を払うのは、従者たちの役目なのだろうが。それにしても。
「あんた、洋服とかどこにしまってるの」
「押し入れの中。皺になると困る上着や背広なんかは従者の部屋に吊ってある」
「タンスくらい置きなさいよ」
「そこのエアロバイクを捨てていいなら考えるけど」
「駄目よ。あれは乗りに来てるでしょ。現役なのよ」
「部屋のスペースは有限なんだよ」
 確かにこの部屋には物が多い。このこたつに加え、楽器だのレコードだのが場所を塞いでいる。此紀が通販で購入したバイクが大きいのも事実だ。従者たちが整頓してはいるのだろうが、それでも雑然とした部屋だった。
「君の部屋の方が広いんだから、バイクは引き取ってくれないか」
「インテリアの邪魔になるのよ」
「いいな君は。私も弟弟子が欲しかった」
 そう言いながら背中を丸め、こたつに顔を載せた。顔に似合わない、くたびれた親父のような体勢である。
 部屋に鏡も置いていない男だが、これでナルシストであることはよく知っている。外でこんな姿を見せることはない。従者たちの前でも、もう少しは恰好をつけている。
 此紀には心を許している――というよりも、気を張ったところで意味がないと思っているのだろう。もはや親よりも長い付き合いだ。互いの悪い部分などすべて見知っている。
 腕を伸ばして、典雅の額に拇印を捺した。
「なんだよ。呼び鈴じゃないよ」
「認め印よ」
「勝手に認証しないでくれ」
「まあつるつるのおでこ。憎たらしい。化粧の乗りが良さそうね」
「化粧はしないよ。これ以上モテても困る」
「本当に憎ったらしいわね」
 前髪をぐしゃぐしゃに掻き回してやった。
「やめてくれ。乱れ髪の色気が出てしまう」
「大丈夫よ。だらしないオッサンになっただけよ」
「私がオッサン界に参入したらオッサンたちが泣いてしまうだろう。私はオッサンにそんな惨めな思いをさせる男じゃないよ」
「何をわけのわからないことを言ってるのよ。もう少し見かけに中身を寄せる努力をしなさいよ。あんたは顔が勝ちすぎてるのよ」
「やあ、君が褒めてくれるとは珍しい」
「貶してるのよ。女で言うと万羽よあんたは」
「なんだって。それはひどいな。言いすぎだ」
「レベルの低い川柳を詠まないでよ。あんた楽器はそこそこ弾けるけど、作詞はしないんでしょ。教養が無いのね」
「色男だから、金と力と教養は無いほうがいいんだよ」
「宣水や沙羅を見習いなさいよ。同じ髪型でもあっちは教養があるわよ」
「髪型は関係ないだろ。師は姉弟子に勉学を、私に美しさを授けられた」
「あんたの顔はあんたの親父から授かったんでしょうよ」
 早くに亡くなった典雅の父親と、此紀は少しだけ面識がある。もう姿のディテールを思い出すことはできないが、大層美しい男であったという印象は強い。
 そういえば、此紀の父親も美貌で名高い男であった。こちらはさすがに二百年経っても覚えている。長い髪を背中で編み、凍るような眼差しで此紀を見下ろした。優しい父だったと思うが、顔は怖かった。怖いほどに美しかったのだ。
 もう少し父に似ればよかったろうに、と年寄りたちからはよく言われたものである。莫大な世話だ。望んで父に似なかったわけではない。
 弟弟子の整った顔を見る。これが女でなくてよかった、と思った回数は知れない。
 典雅の言う通り、師は此紀の知性を褒め、典雅の美しさを称えた。正確には此紀も容姿を褒められたことはあるが、典雅と並んでいるときには言われなかった。この弟弟子に並べば、誰でも見劣りする。これに比類するのは、それこそ万羽か、刹那あたりのものだ。一族にもそう居る顔ではない。
「あんたの従者、刹那の孫娘じゃないほう」
「容子か?」
「それ。あの子は綺麗な顔してるわね。刹那の孫娘はさぞ面白くないでしょうよ」
「仲は悪いね。蘭子は蘭子で可愛いのに」
「A+とB+は並びたくないものよ。単体ならいいけど、揃うと比べられるでしょ」
「蘭子には刹那の庇護がある。総合すれば蘭子のほうが恵まれてると思うよ」
「それでも女は美しさを欲するのよ。特にあんたの従者なんか、あんたの歓心を買うのが生き甲斐なんでしょ。目を惹きたくて必死なはずよ」
 こたつの中で足を動かす。
「やめてくれ。そこで食ってるんだから、乱暴に扱わないでくれよ」
「煙草と灰皿。ライターも」
「はい」
 こたつの上にあった、チョコレートか何かの缶を押しやってくる。蓋を開けてみると、此紀の吸いかけの煙草の箱と、失くしたと思っていたライターが入っていた。気が利く、と思いながらそれを取り出すと、缶にはまだ小物が入っていた。金のブレスレット。マニキュアの瓶。どちらも少し前に失くした品だ。オレンジ色のリップスティックには見覚えがなかった。陶器製の小さな灰皿は、以前までこのこたつテーブルに常設されていたはずだ。
「この間、蘭子が部屋を掃除したとき、そんな女物をいくつか見つけてね。たぶん君のだろう。灰皿はあげるよ。私はもう吸わないから」
「それはどうもありがとう。でも、この口紅はあたしのじゃないわ」
 煙草を咥え、火を点ける。
「あんたの従者のじゃないの? 若い色だわ」
「そうか。蘭子なら自分で気付くだろうから、容子かな」
「色舞かもしれないわね。安物だし、捨てた方がいいと思うわよ。自分のものじゃない化粧品を男から渡されるのって、気分が良くないから」
「そりゃ失礼しました」
「あたしは別にいいわよ。あんたに女扱いされても気色悪いわ」
 煙を吸い、弟弟子の自慢の顔めがけて吹きかける。
「何をする」
「少しは燻されりゃいいのよ。取り澄ました顔が親しみやすくなるわよ」
 メンソールの混じった紫煙が室内に広がり、薄い靄になる。典雅はその時々の愛人に合わせて、喫煙をしたり、やめたりした。どちらでもいいのだろう。ここしばらくは吸っているところを見ない。
 煙草の吸い口に口紅が移る。缶の中のリップスティックとは違う、薔薇の赤色。意志の強い女にしか似合わない色だ、と此紀は思う。鈍い女が塗ると、無知な白雪姫のような顔になる。
 ふと、典雅の末娘のことを考える。大きな瞳の愛らしい娘で、顔は典雅によく似ている。陽の光を浴びないためか、色は大層白く、赤子のように無垢な肌を持っていた。典雅が少女趣味の服を着せていることもあり、黙って座っていると、それこそおとぎ話に出てくる、汚れのない姫君のようだった。
 化粧を施した自分よりも、いつも素顔のあの娘のほうが、何倍も可憐だ。
 色舞は思うところがあろう、とときどき考える。色舞も父譲りの整った面立ちを持つが、妹ほどの澄んだ愛らしさはない。
 刹那の孫娘と同じだ。比べられる――と思い込んでいる身には辛かろう。
 賢さは、美しさに勝つことは出来ない。
 その――思い込みに、勝手に囚われる女は多い。まして此紀らの師と違い、典雅は、女に、いや他者に、知性など求めることはない男だ。かといって美貌を求めるわけでもないのだが、そこは割り切れないのが女の悲しさだ、と此紀は思う。
 先ほど自分が引き合いに出した、人形よりも美しい女のことを考える。
「万羽は上手に化粧をしようとか、流行りの色を使おうとか、男に受ける顔を作ろうとか、そういう気が無いのよ。あれは自分のための化粧だわ」
「君もそうなんだろう」
「違うわ。あんたに言ってもわからないでしょうけど。あの子ほど潔くはなれない。あの子ほど強くも美しくもないから」
「君は充分綺麗だし、中身で相殺して釣りが来るだろう」
「あんたにはわからないのよ。充分なんかじゃ駄目なのよ。一番美しくなりたいのよ」
 この山で一番美しい男に、そんな男を弟弟子に持った女の心はわかるまい。
 当代一の美男子は、頬杖をついて、そのせっかくの美しい顔を崩した。
「確かにわからないね。君の考える一番っていうのは万羽か? そんなものは好みだろう。万羽よりも君の方が美しいと思う者はいるだろうに」
「その可能性を最大限まで上げたいのよ。さらに言えば、男から選ばれるかどうかは重要だけど、それがすべてでもないのよ。あんたの従者、男にモテるのは刹那の孫娘のほうだと思うけど、綺麗なのはもう一人のほうでしょ。きっと刹那の孫娘にとって、それは深刻なことよ」
「矛盾してないか? 相対評価と絶対評価が入り乱れてる」
「矛盾じゃなくて、共存してるのよ。自分が選ばれることと、自分が選ばれるに足ると思うこと。どっちも重要なのよ。そして後者を満たしていれば、前者の目的に集中できるわ」
「ああ、なんか、財力に通じるものがあるな。そう考えるとわかる気がする」
「その通りね。金で買えないもののことは、金で買えるものを買ってから考えればいいのよ。あんたの従者の綺麗なほうの悩みは、色舞よりもランクが低いし、刹那の孫娘の悩みはそれよりもっと低いわ。女の悩みは階層なのよ」
「色舞に悩みがあるのか?」
 色男が父親の表情になる。
 その鈍さに呆れた。女の心を捉えるのは得意であろうに、その詳細については駄目らしい。
「あの子は、だから、悩みのランクが一番高いから。自分で口に出すでしょ。自分よりも妹のほうが可愛いんだろう、とか言うでしょ」
「ああ。言うね」
「刹那の孫娘はそれも口に出せないのよ。これ以上話してもあんたにはわからないでしょうけど。万羽は和泉が嫌いでしょ。あの子は蔑んでるわけじゃなくて、嫉妬してるのよ。万羽くらい綺麗でも、結局、宣水の一番にはなれなかったから。和泉の方が美しいから」
 典雅が珍しく驚いたような顔をする。
「万羽は宣水に惚れてるのか? 意外だ。初耳だ」
「そういう話でもないのよ」
「和泉は確かに美しいけど、万羽が負けてるわけでもないだろ」
「だから、そういう話でもないのよ」
 やはり話は通じない。典雅が他者の美しさに嫉妬したことがないためでもあろうし、男生まれであるためでもあろうし、娘の容姿などどうでもいいと思っているためでもあろう。この男ならば、自分の娘が知恵遅れであろうと、醜かろうと、同じように愛するだろう。
 宣水はおそらく違う。少なくとも、万羽はそう思っている、ということが重要なのだ。
 美貌も知性も力も血筋も、何もかも兼ね備えている和泉が、この山で嫌われているのは、金色の髪だけが原因ではあるまい。
 和泉がもっと取るに足らない、顔も中身も凡庸な鬼であれば、たかだか外国人の母親を持つ程度のことで、あそこまでは冷遇されずに済んだはずだ。
 その和泉にさえ分け隔てなく接した典雅には、わかるまい。何もかも。
「和泉については、きっと刹那がニアリーイコールよ。あるいは豪礼かもしれないけど。こんなにわかりやすいことなのに、あんたにはわからないのね。和泉を普通に扱った者だけが、和泉に勝ってるのよ。万羽は王家の血筋の美しいお姫様だけど、それでも和泉には負けたのよ。万羽はそう思ってるのよ」
「さっき、万羽は潔いと言ってただろうに」
「だから、パーセンテージで共存してるのよ。万羽は和泉以外の全員に勝ってると思ってるはずよ。敵はひとりだけ。あたしたちは違うのよ。もっと敵が多いわ。それを減らすことが悲願だと、さっきから言ってるでしょ」
 典雅は眉を寄せて、それから首を傾けた。呆れたような顔だった。
「要するに、美しさなんか問題じゃなくて、ただ一人の男を手に入れたいという欲求と、自己肯定感の話じゃないのか」
「その両方に美しさが必要だと――女はそう思い込みがち、という話よ。わっかんない男ね」
「女じゃないものでね。悪かったね」
 此紀は男への説明を諦めて、缶の中のリップスティックを見る。愛らしいオレンジ色。
 結局、これは誰のものなのだろうか、と考えていた。










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