ゆるおに 鬼化粧 3
FC2ブログ

【メニュー】



鬼化粧 3
「08 鬼化粧 3」


 万羽は、東埜に顔や身体や髪を触らせることを好んだ。
 だから東埜の日課は、万羽のブラジャーのホックを留め、ショーツの紐を結び、ワンピースのファスナーを上げ、髪を梳かして、化粧を施すことから始まる。
 東埜はまだ若い男の鬼であり、万羽の前に仕えたのは右近ひとりきりで、その右近は従者に身支度を手伝わせる習慣を持たなかった。だから最初は当惑したが、万羽の指示を仰ぎつつ、女向けの雑誌などを買い求めて、東埜は女の化粧や髪型を学んだ。
 自分の手先は器用らしい、と気付いたのは、師の顔を、師自身よりも美しく仕上げられるようになった時だった。
 黒目がちの大きな瞳は、目尻にペンシルでアイラインを引いて、濃色のグラデーションで立体感をつけると、理想的なアーモンドアイになる。――娘、花苑の意見である。
 人形のように長いまつ毛は、あまり手を入れず、ただしビューラーだけはしっかりと使い、扇状に上げる。――同じまつ毛を持つ師の娘、水髪の意見である。
 唇はもともと明るい桃色であるから、その色を活かし、透明なリップグロスで艶を出すと良い。変に色を乗せると、整いすぎた顔立ちと、言動の幼さによって、品のない印象になってしまう。――師の友、此紀の意見である。
 なめらかで透明感の高い素肌を活かし、ファンデーションはごく薄く、あるいはいっそ塗らずに、保湿効果のあるスプレーを吹いて、粉を含ませたパフで軽く押さえる。そしてチークはピンク系を絶対に避け、オレンジか赤に寄せる。どんな髪型や服装の時でも、これらは守らなければいけなかった。――試行錯誤を繰り返して、東埜が至った結論である。
 万羽自身はあまり化粧が上手くない、ということは早い段階に気付いた。もともと化粧したような顔であるから、あまり興味がないのだろう。好きな色を好きなように使い、わりと雑に仕上げている。そのわりに口紅だけはこだわりがあるようで、あまり似合っているとは言えないような色でも、リップブラシを使って丁寧に塗っていた。
 ――そういうところが好きになれない。
 万羽が濃い色の口紅を買ってくるたび、東埜は何とも言えない、不愉快な気分になる。
 美貌をわざわざ落とすような化粧品を、自分が好きだという理由で使う。いい加減なくせ、こだわりたい部分にだけこだわる。
 身勝手な化粧だ。
 己の愚かな娘、花苑は、「何言ってるのかわかんない」と言った。
 師の聡明な娘、水髪は、「そうですね。父は子供のような化粧をしますね」と言った。
 花苑は一日中でも鏡を見ているような娘だが、意外にも化粧をしていない。そのかわりに、眉や髪をよく手入れし、日焼け止めとリップクリームは欠かさず、素肌の瑞々しさを維持する、という方向に気を使っているようだった。
 水髪もほとんど化粧をしていないが、こちらは目元に気を使っている。温熱式のビューラーでまつ毛を上げ、目の下に薄くコンシーラーを塗っていた。万羽よりもはっきりとした涙袋を持つ水髪は、その瞳の愛らしさと引き換えに、隈が少し目立つ。そのことを気にしているのだろう。
 幼い娘たちだが、どちらも万羽よりずっと、自分の顔の活かし方を知っている。
 薄化粧が良いというわけではない。万羽の顔は、なまじ元の完成度が高いため、手を入れるには慎重にならなければいけない、という話だ。
 ――慎重さ。器用さ。配慮。
 そうしたものが万羽には欠けていた。化粧ひとつでそれが判る。
 センスが悪いわけではない。服やアクセサリーは、似合うものを身に付けている。
 要するに、やはり、上手く化粧をするということに興味がないだけなのだ。
 だから東埜は腹が立つ。
 ――王者の怠惰だ。
 そのようなことを、万羽が自分で勝手に施した化粧を見るたび、考えるようになった。

「まつ毛落とした」
 左目を手で覆った右近が、直立不動で廊下を塞ぎ、東埜を見上げてくる。
「あたしのまつ毛見なかった?」
 東埜はこういう時、気の利いた言葉が出てくる性質ではない。愚直に問い返してしまう。
「まつ毛、ですか」
「左のつけまを落としたの」
 つけま。つけまつ毛の略称である、ということは東埜も知っている。持ち前のまつ毛が濃い万羽には不要のものであるため、扱ったことはない。
 なるほど、と右近を見下ろす。どちらかというと切れ長の瞳を持つはずの右近は、極太の黒いアイラインと、つけまつ毛、その上から紺色のマスカラを塗り、さらに何やらラメのようなもの――付け涙というのだったか、それをまぶしている。糊で作っているのであろう二重まぶた。下まぶたにも数色使って線を引き、見事などんぐり眼を完成させていた。
 白塗り、と言えるほどのベースメイクに、艶のあるコバルトブルーの口紅。ダークカラーのチークで頬を作っている。東埜ならこれに赤系のアイシャドウを入れるが、おそらくあえて色を絞っているのだろう。
 仮装に近い厚化粧だが、そのひとつひとつは丁寧に行われている。そのことに東埜は感心した。
 右の長い付けまつ毛が持ち上がり、紺のカラーコンタクトを嵌めた目が東埜を見る。
「あんまりジロジロ見ないでよね」
「申し訳ありません。……片目でお歩きになるのは危ないと思いますが」
「こんな目え出して歩けない。両目の大きさが倍くらい違うもん」
「右のまつ毛もお外しになるか、新しいものをお付けになるとか」
「もうつけまのスペアがないの! つけまナシだと恐ろしい顔になる」
「右近様は素顔でもお美しいのですから、新しいまつ毛をお買いになるまではそのお化粧を控えられてはいかがでしょうか」
 世辞ではなかった。
 右近は、それは万羽などと比べたら地味であろうが、あっさりと整った顔をしている。その素顔も、もうしばらく見てはいないが。
 右近の青い唇が尖る。
「やっ。このメイクはアタシの命なの」
「命の一部を落としてしまわれたのですか」
「そおよ。アタシの命のかけら、見つけたら教えて」
「気付きましたらお届けします。ところで右近様、綺麗な発色の口紅ですね。どちらの品ですか?」
「なんか舞台化粧の店で買ったやつ。に、濃いピンクのグロス重ねてる。角度によってニュアンスが変わるでしょ」
「そうですね。深みが出ています」
「でっしょ」
 まつ毛のラメが反射して、紺色の瞳をきらきらと潤んだように見せている。元から潤んだような目を持つ万羽には習得しえない化粧技術だ。
 右近がある日突然、このような化粧をするようになった理由を、東埜は知らない。自分が万羽に師事替えしたことへの当てつけか、と考えたこともあるが、それは自意識過剰というものだろう。時期もそれほど合わない。
 右近の息子、東雲が、髪を金色にしたのは、確か右近が紺にしたのと同時期だった。おそらく示し合わせたのだろう。東雲の方は否定していたが。
「東雲さんはお元気ですか」
「元気よぉ。なんか近々、山を下りて暮らすとか言ってるけど。本気かどうかは知んない」
「山を下りて?」
「沙羅が人里で暮らしてるじゃない? 一緒に住むんじゃないの」
「下の空気は身体に良くないのでは」
「良くないわね。でもまあ、夜がまことに暗かった時代も終わって長いし、これからどんどん山を下りるのは増えると思うわよ。弥風の目が黒いうちは許されないでしょうけど、あいつの時代が終わったら、次の時代が訪れる」
 ――目の黒いうちは。
 右近は紺色の目を持っている、と考えてしまってから、それがまんざら揚げ足取りでもない、と気付いた。
 百年前にはカラーコンタクトは存在しない。東埜の記憶が正しければ、コンタクトレンズが開発されたのは戦後だったはずだ。五百年前に西洋の天才が発案したという俗説もあるが、とにかく。
 時代は流れ、この閉ざされた小世界にも、それは押し寄せている。百五十年前には、青い目の鬼が生まれていた。
 弥風の天下は続かない。現在でさえ支配しえてはいない。山を出て暮らしている沙羅や宣水、豪礼を、弥風は呼び戻すことができずにいる。
 目の前の、紺色の瞳の鬼は、弥風を凌駕しうる才気を宿している。
 いっときではあれども、時代を作ることが――不可能ではない。
 だから弥風が憎んだ。しかし右近は支配を望まない。
「霊能者、超能力者、怪人、超人――」
 右近は東埜のかつての師である。よく語らったものだ。
 それを思い出してしまい、呟く。
「そうした人間が、鬼であった可能性を、かつて右近様は話してくださいましたね。科学の光で照らせば、彼らの奇術や、我らの技術が、同一であると証明される可能性を」
「そんなことよく覚えてるわね」
「面白い説だと思ったので。現在、一族で発火の術が顕現しているのは弥風様だけですが、人間の世界にもそうした話は頻出すると。人間の世界では、性別さえ、手術で替えるようになったと。その手術で生殖機能まで替えることはできないが、それは鬼も同じだと。女の鬼は生殖機能を持たない。互換性の無さでは等しい」
「そうね。あたしたちは奇形・異形の人間だという説ね。説もなにも、実際そうなんでしょうけど――おっと弥風に聞かれたらぶっ飛ばされる」
「けれど我が一族はダヴィンチを輩出しなかった」
「ダヴィンチ? ああ。そうねえ。弥風や此紀や宣水や、あのへんは賢いんでしょうけど、別に不世出の天才じゃないわよね」
「そして、祝詞様は排除されたと」
「そうねえ。この小さな世界を革命する可能性を少しでも持ってたのは、あの方だけだったけれども。その芽は潰されたわ。百年早かったわねえ。そういう意味じゃあ天才と呼べたのかも知れないけど。早すぎた不遇の天才。ゴッホね。あるいはガリレイかな。猿食い説は地動説によく似てた」
「鬼が人に勝るのは、実のところ美しさと、寿命の長さだけ。それも、化粧や整形、医療の発達、混血によって、差は薄まりつつある――」
「弥風は一番恐れてるのはそれね。恐怖政治の根源よ。恐怖政治っていうのは、自分が何かを恐れてる者がするもんだわ」
 右近のこうしたところが好きだった。万羽を逆さにしても出てこない言葉。
 知性の話ではない。視点の位置だ。
 万羽は王家の血筋であるから、地からものを観察することがない。
 天動説に守られた姫君。他者の目を意識しない化粧。
 無邪気で無垢だが、いつになっても好きにはなれない。
「私は祝詞様を存じませんが、鬼は食餌弱者である、と言ったと」
「言ったね。弥風が怒ったねえ」
「ですが、事実ですよね」
「だから怒ったんでしょ。そのへんに弥風の矛盾があるのよ。あいつは馬鹿が嫌いなくせに、真実を見抜かれるのも嫌なのよ。宣水が一番賢いね。此紀は馬鹿だけどお利口。祝詞様の従者になんかならなけりゃ、下手に知恵がつかず、矛盾に苦しまずに済んだのにね。大好きな先生の首を切られて、それでも弥風の傀儡なんて。可哀想にね」
 嘲弄のニュアンスではなかった。
 哀れみ。その感情で此紀を見下している。
「山を出るのが、一番賢い選択ですか」
「そりゃそうよ。こんなところに閉じ篭もって暮らすのは馬鹿よ。馬鹿丸出しじゃない」
「では、なぜ右近様はここにおられるのですか」
「馬鹿丸出しだからよ。つけまが売ってる店まで一時間半。最悪よ。あんたなんか知らないでしょうけど、自動車ができる前なんか、あの山道を歩いて下りてたんだからね」
「それでも人里では暮らせない――」
「そおねえ。里の空気は身体に悪いから。人と同じ暮らしをすれば、寿命さえも限りなく近くなる。言い訳がきかないわね」
「それでも宣水様が賢いと右近様は仰るのですか」
「死にたくないのは猿だって同じよ」
 退屈そうに言って、右近はくるりと背を向けた。
「ま、あたしの左側の命、見つかったら教えてよ。
「あの、右近様。よろしければ、私にお化粧をさせていただけませんか。つけまつ毛がなくとも、きっと――」
「あんたには無理よ」
 紺色の巻き毛を揺らして振り向く。左目は隠したままだ。長い右のまつ毛。
「あんたに化粧してほしいとは思わないわ。あんたの化粧、あたしはいまいち好きじゃないもん。万羽は自分で化粧したほうがいいと思うね」
 そう言って、さっさと立ち去る。
 残された東埜は、かつての師の言葉に打ちのめされ、しばらく立ち尽くした。








スポンサーサイト