ゆるおに BOSS

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「11 BOSS」


 横暴の師に仕える従者に、安息の時間は少ない。
 早朝であろうが深夜であろうが、用があれば叩き起こされ、応じなければ罰を受ける。ときに用など無くとも呼び出され、暇つぶしの相手を命じられることもあった。
 兄弟弟子がいれば、まだ仕事を分担できる。此紀などはスーパーホワイトと有名で、従者たちに無理のないシフトを組ませ、手当てを出し、有休を与えていた。厚待遇の優良企業である。
 しかし、ホワイトと呼ばれる者が居るからには、ブラックも存在する。
 シフトを分担する兄弟弟子もなく、薄給、ひどければ無給で、二十四時間勤務であるからサービス残業という概念さえ無い。いつでも参じられるようにと、部屋まで師の隣室に移された。
 弥風に師事して以来、西帝は、気の休まらない日々を送っている。


 陽が出ているうちに師の掛け布団を干そうと思ったのは、西帝だけではなかったらしい。
 中庭の物干し竿には、すでに東埜が布団を掛けている最中だった。西帝に気付いて、埃を払っていた布団叩きを下ろす。
「おはようございます。西帝さんも布団干しですか。今日はまだ陽射しがありますからね」
 端正な顔に瀟洒なスーツ姿。似合わない台詞と布団叩き。
 もっとも、それは自分も大して変わらない。西帝は苦笑して「そうだな」と答えた。
「隣に干してもいいかな? ここが一番日当たりがいいから」
「もちろん。手伝います」
「サンキュー」
 激務の従者同士、また仕えている師が親子であるという関係上、西帝と東埜はときおり連携して仕事をこなした。師には隠している。万羽はともかく、弥風は従者の勝手な動きを好まない。
 協力して、弥風の布団を干す。長身――というわけでもないが、少なくとも西帝よりは上背のある東埜の手伝いは助かった。
「弥風様のお布団ですか?」
「ああ。そっちは万羽様のだろ」
「そうです。性格が出ますね」
 そう笑った東埜の意図はひと目でわかる。東埜が干していた方は、いかにも女物らしい、細やかな花柄の羽毛布団である。西帝の方は、同じ羽毛布団でこそあるが、白の無地だ。並べていても取り違えることはない。
 華やかな布団を見上げながら、西帝はなんとなく軽口を叩いた。
「いいなあ、艶っぽい布団で。万羽様のお布団を世話できるんなら、俺と違って楽しいだろうな」
「まさか」
 語調は丁寧だが、口の中に入れた苦いものを吐き出すような速度だった。
「よく言われますが、逆に考えていただきたいですね。あれだけお美しくて、まあ大らかな女性の師に、どうして長く従者がつかないのか」
「はは。道理だ」
 東埜の境遇はよく知っている。万羽は弥風ほどスパルタではないが、そのかわりに無邪気で気ままだ。従者の気苦労としては五十歩百歩であろう。
 弥風の布団の表面を手で払いながら、西帝は話を続ける。なんとなく。
「万羽様のとこやめて、別のとこに行きゃいいんじゃないの? あんたなら引く手数多だろ。此紀様のとこにでも転がり込めれば、一気に楽になるだろ」
「それができたら苦労しません。そもそも、私は右近様の従者だったのを無理に引き抜かれたんです。この山であの姫君に所望されたら、逆らうことなどできません」
「姫君なあ」
 次期長老の娘である万羽はよくそう呼ばれるが、西帝には少し違和感がある。
 西帝の血筋には、姫にあたる女が、ほかに存在するためである。姫というよりも、女王、あるいは王妃か。
 父は皇ギの字を、当初「皇妃」と当てるつもりであったらしい。当時の長老に「さすがに大仰に過ぎる」と諭され、妃の字を崩した。
 「西方の帝」は誰も止めなかったのかよ、という疑問とともに、西帝にとって印象深いエピソードである。
 東埜は曇天の――それでも布団を干そうと思う程度には陽の差している空を見上げた。整った横顔だ。女鬼たちがきいきいと取り合うのも理解できる。
 顔立ちの美しさで言えば、典雅などが勝るかも知れないが、東埜にはさっぱりとした清潔感がある。女が連れて歩きたいのは、過ぎる美男子よりも、むしろこうした男だろう。
 切れ長の、それでいて鋭すぎない目が西帝を見る。
「疲れますね、お互い」
「そうだな。あんたなんか子供がいるだろ。何歳だっけ」
「十四になります。もう少ししっかりしてくれたら私も少しは楽なんですが――もっとも、三百歳の師の方にそれを望むべきなんでしょうが」
 そう言って東埜は、ポケットから煙草を取り出した。安っぽいライターで火を点けて、疲れたような顔で吸う。布団に掛からないよう、顔を背けて煙を吐いた。
 おそらく、万羽は喫煙の習慣を持たない。弥風の部屋を訪れる彼女は、いつも甘やかな香水の匂いを運んでくるからだ。東埜の苦笑いが証明する。
「万羽様のお部屋に呼ばれると、煙草も吸えないのが辛いです。弥風様がお厳しいことは存じていますが、優れた指導者でいらっしゃるとも聞きます。万羽様は気まぐれに私を弄ぶだけ。私は奴隷です」
「色男が、ずいぶん自虐的だな」
「愛人も切れと命じられて、自由になる金も時間も無く、助けてくれる父も今は亡く。自虐も何も、事実ですよ。あなたの甥御さんが羨ましいです。同じくらい女に好かれる顔に生まれても、これほどまでに待遇が変わるんですね」
「俺も桐生については似たようなことを考えるよ。子供か孫かで、こうも違うかってね。俺はあの、弥風様よりも話の通じないオッサンにぶん殴られて育ったけど、桐生が殴られたことはないと思う。別に妬みやしないけど、生まれついての運ってあるよな。不幸自慢なら負ける気がしないぜ。物心つく前から殴られて、生きる術は兄貴に教わった。俺たちがどんな陰口を叩かれてるか知ってるだろ」
 東埜の顔がわずかに曇る。おそらく同情だ。それはこの男の耳にも、西帝の、西帝の血筋の悪評が入っているという証明だ。
 次期長老の娘から逃れることは難しかろうが、不可能ではないだろう。万羽は西帝の父ほど横暴ではない。我儘ではあろうが、冷酷ではない。気性は優しい部類だろう。
 しかし、西帝を縛るものは血だ。冷酷なる父に作られた、この肉体そのものだ。逃れることはできない。
 この山でもっとも蔑まれている鬼は、父の従者である。西帝はあの金髪の鬼が、ほぼ自分に等しいと思っていた。肉体の檻。血の呪い。それに繋がれている。容貌だけは美しいというところも、奇妙な符合であり、いかにも皮肉だった。
 舌打ちしてから、男を困らせたことに気付いて、「悪い」と謝る。
「どうもイライラして駄目だな。愚痴ってすまない」
「いいえ。こちらこそ」
 東埜の正確な年齢は知らないが、西帝よりはいくらか上だったはずだ。それでも丁寧に接してくる。
 この狭い屋敷において、若年者の上下関係は微妙だ。多くは父親の地位に左右されるが、自身の才気で権力を勝ち取ることもできる。百にも満たない歳の沙羅などは、自らの兄弟子どころか、弥風や、西帝の父までを呼び捨てた。
 西帝が東埜より優れているとは思わないが、父親の格が勝っているため、敬われるということになっている。
 だが、つい先ほど語った通り、あの父のもとに生まれたことは、貧乏くじに当たる――と、西帝は思っている。
 東埜が煙草の箱を差し出してきた。
「どうぞ」
「弥風様にバレたら怒られるから遠慮しとく」
「たまにはいいじゃないですか」
 予想外の唆しだ。
 西帝は少し考えてから、一本受け取った。東埜がライターの火を近付けてくる。
 着火して、煙を吸い込んだ。ゆっくりと吐き出す。
「ああ、久しぶりだ。弥風様は鼻が良いから」
「何かありましたか」
「ああ――明日、親父が帰ってくるらしい。何日か滞在するんだろうな」
「豪礼様はお帰りのときに連絡を?」
「そう。なんでだか俺に寄越すんだよ。部屋を掃除しとけとかいう意味なんだろうけど、姉さんに言えよと思う」
 どうせ悪い噂が知られているのなら、と煙とともに吐き出してしまった。
「親父の布団も干そうかと思ったけど、そこまでしてやらなくていいかと思って。あとでファブリーズでも吹いときゃいいだろ」
「豪礼様は残酷でおられますが、弥風様よりは――その」
「俺たちが五体満足なのはたまたまだよ。打ち所が良くて死ななかっただけだろ」
「弥風様のお子様は、不運ではなく、明確な殺意によって亡くなられたと聞いていますが」
「まあ、そりゃそうなんだろうが。殺意がなきゃいいってもんじゃないだろ」
「豪礼様の耳に、お子様方の悪い話――というか、お子様方をからかうような話が入ると、殴られるのは有名ですよ」
「所有物だからだろ。よその町のガキ大将にのび太いじめられたら、ジャイアンだって怒るだろうよ」
「それでも庇護してくれるバックボーンは羨ましいです。私などは何もありませんから」
「宙に蹴り飛ばして、着地する前にもう一回蹴って壁に激突させる、あの格ゲーみたいなコンボ決められてから言ってほしいよ。息子は無理でも、従者のポジションは空いてるぜ」
 もっとも父は、おそらく従者――和泉を殴ったことはない。
 友からの預かり子であるためか、和泉が従順であるためか、あるいは殴るほどの関心も持たないためか、それは知らないが。
 そういえば父は、和泉には話しかけることさえほとんど無い。もともと無口な男であるから、それで普通とも言えるが、たとえば――そう、部屋を片付けておけだの、布団を干せだの、こうしたことは本来、和泉の方に命じるべきことだった。
 そういう意味では、父は和泉を黙殺している。
 西帝にとっては迷惑な話だった。師の布団を干すので忙しい身だ。父の部屋の掃除など、従者のほうに頼んでもらいたい。
 煙草を吸いながら、万羽の布団を見上げる。
「あんた、女の師のほうがいいタイプ?」
「そうですね。どうせなら適材適所が良いかと」
「適材適所?」
「女に好かれるように生まれたので」
 衒いなくあっさりと言うあたりに、それが現われている。
「いいなあ。俺もそんなこと言いたい」
「西帝さんも充分でしょう。いわゆるジャニーズ系なのでは?」
「どうだか。中途半端に濃くて、中途半端に女みたいで、流行りじゃないだろ。桐生はモテてるようだけど、俺は擦れっからしてるから、あんな子犬みたいな雰囲気出せないし」
「桐生君もわりと擦れていると思いますよ。顔と物腰は可愛いですが、女に対してはわりと冷めていますし。あの年で、もう何人かは沈めているんじゃないでしょうか」
「マジか? 何だろうなあ。顔がどうこうっていうよりも、女心を操縦するのが上手いのかな、あんたたちは」
「それはあると思います。恥ずかしい話ですが」
「恥ずかしいか? 生きる術のひとつだろ」
「恥ずかしいですよ。万羽様から解放されたとしても、私が師事するのは女でしょうし、愛人にするのも女でしょう。女に寄生することしかできない。そこを行くと、たとえば――豪礼様のお子様なら」
「女に頼らなくても生きていけるって話? 女に頼るのは恥ずかしくて、あのオッサンの威光に頼るのは恥ずかしくない、っていうのもよくわかんない話じゃないか? つうか、俺はそれが嫌でスパルタンXのところに師事したわけだし」
「そういう意志の強さも羨ましいです。やっぱり豪礼様の血でしょうか」
「なんでも血でくくってほしくないなあ。どっちかって言うと、反面教師なんじゃないか。いや反面でもないか。俺はとにかく、あのオッサンの顔面にパンチの一発でもくれてやりたいよ。今はまだそれも叶わないけど」
「それにはもう少し滝に打たれる必要があるね。煙草なんか吸ってる時間で」
 背中からのひんやりとした声に、西帝の全身に一瞬で冷や汗が噴出した。
 東埜が慌てて吸殻を踏みつぶして靴裏に隠す。ああ、いいなあ、とサンダルで出てきてしまった西帝はそんなことを考える。
 幽霊のように気配なく背後から現れた弥風は、振り向けずにいる西帝の背中に膝蹴りを入れてきた。威力は無い。
「帰りが遅いと思ったら、ご一服か。さすがに豪礼のご令息は優雅でいらっしゃるな」
「私がお引き留めを。申し訳ありません」
 東埜がさっと庇ってくれたが、それで済んだら長老は要らないのだった。次期長老の膝がぐいぐいと背中を押してくる。
「豪礼のツラに一発入れるのだってお前じゃ難しいのを、このスパルタンXが鍛えてやろうって言ってんだろうが。感謝されこそすれ、愚痴を言われる筋合いはないと思うが?」
「弥風様には感謝しております。愚痴などとんでもありません」
「お前も」
 と、弥風が東埜に矛先を向ける。
「女みたいな井戸端会議を開いてないで、馬鹿娘の機嫌を取ってこい。奴隷らしく」
 かなり序盤から聞いている。
 東埜は一礼し、踏んでいた吸殻を回収して、急ぎ足で縁側を上がって去った。
「ふん」
 ようやく弥風が膝を離した。西帝の隣に来て、火の点いたままの煙草を取り上げる。
 それを咥えて、怠そうに言った。
「あのジジイが帰ってくるのか」
「はい」
「まだパンチはやめておいた方がいいな。不意を突きゃ背中に蹴りの一本くらいは入るかも知れないが、そのあとに宙蹴りコンボ決められるだろ」
「はい。オーバーキルは確実です」
「お前らの素質は象と蟻くらいの差があるからな。象の足を噛んで踏みつぶされたんじゃ割りに合わない。毒でも飲ませたらどうだ」
「ちょっとやそっとの毒が効くようには思えません」
「まあな。象だからな」
 弥風が細く煙を吐き出す。その仕草を、女のようだ、と感じた。
 煙草を地面に放って、弥風はそれを足で揉み消した。裸足だ。
「僕も毒を盛られたことがあるが、即効性で致死量じゃないと意味が無いね。腹が痛てえなと思った瞬間、盛った奴を殺して、その間に解毒の術を練ってりゃ、まあ死にはしない。大さじで青酸カリ盛れ」
「その遂行難易度は顔面パンチと同じようなものでは」
「だから、こんなところでサボッてないで、策を練るなり身体を鍛えるなりしろよ。今のお前じゃ逆立ちしてもあの中ボスは踏破できないんだから」
「俺などからは、ラスボス撃破後の隠しステージに出てくる裏ボスくらいに見えますが、弥風様からご覧になれば中ボスレベルですか」
「裏ボスが自分の父親って、なんか90年代だな」
「お詳しいですね」
「お前の影響だよ。ラスボスは必ず殺されるが、中ボスは結構生き残ったりするだろ。あのジジイはそんな感じだ。とにかく僕は部屋に戻るから、暇を持て余してるんなら茶を淹れて来い。即効性で致死量じゃないなら毒は入れるな。あとその吸殻拾ってこいよ」
 ラスボスはそう言って、一本の蹴りさえも入れられそうにない、鉄でできたような背中を向けた。







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